短歌ブームの差異と反復

みなさまごきげんよう。新年度、2024年度がはじまりました。年末と年度末に挟まれた1月から3月までの期間はその年の準備運動のようで、毎年不思議な気持ちになります。
ところで1月のコラム冒頭では、私たちの暮らす時間を意味づけている「紀元」について触れましたが、その際は話の都合上、「紀年法」と「暦法」をきちんと区別しませんでした。「紀年法」というのは、西暦紀元や元号、干支えとのように、年を数えるための方法を提供するものです。対して「暦法」というのは、時間の流れのうち、いつからいつまでをひとまとまりの年として定めるのか教えてくれます。この時期にちょっとだけ意識される不思議さというのは、後者つまり暦法のズレに由来しています。私たちは二重の暦の中で生きています。地域によっては旧暦も意識するので、三重の暦法で生活することもあるでしょう。
教会通いをしていると、1月1日起算の伝統的な暦と、4月1日起算の行政の暦の他に、教会暦という宗教上の暦も意識するようになります。昨日2024年3月31日は主イエスの復活を祝うイースターでした。12月に誕生を記念したばかりのイエス・キリストがいつのまにか成人していて、受難節の期間に入り、新年度のあたりで復活する暦です。産まれてから死んで復活するまでの期間をそんなに急がなくてもいいだろうに。年末から年度末の期間というのはつくづく不思議なものです。
暦法は年中行事やお祭りの時期を定めるものです。紀年法は過去から現在に向かって不可逆に進行する直線的な時間を意識させますが、暦法が意識させるのはルーティンのような、繰り返される円環的な時間です。朝起きてから寝るまでの習慣、日曜から次の日曜までの繰り返し、月ごとに決められた仕事……といった繰り返しを拡大したところに暦法はあります。習慣化された時間の中では、昨日と今日の違いや、去年と今年の違いは意識の外に追いやられがちです。
雑談はこのへんにしておきましょう。ただ、紀年法&歴史に代表される直線的な時間と、暦法&こよみに代表される円環的な時間の違いについては、ちょっとだけ留意して読み進めてもらえればと思います。

今月のコラムで扱いたい話題は『短歌研究』2024年4月号で発表された現代短歌評論賞の応募要項です。
『現代短歌』2024年5月号の乾遥香によるアンソロジーも扱いたかったのですが、長くなりすぎたので断念しました。この誌上アンソロジーは2023年12月13日に告知と宣言が発表されています。印象に残っているのは以下の一文でした。

このアンソロジーを起点に、現状ほとんどルーティンとローテーションで回っている「短歌の仕事」が新たに配分され、若い書き手が起用される場面がひとつでも多く増え、その仕事それぞれがより社会的な影響力をもつことを私は望みます。

乾遥香「「現代短歌」2024年5月号(3月発売)誌上アンソロジー 公募に際してのステートメント」

歌壇が短歌の暦に基づき、ルーティンとローテーションで回っているのは事実です。はたして当該アンソロジーはこの課題に対してどのように肉薄できたのか。私の立場から見えることについては、来月以降に書くつもりです。

閑話休題、短歌の年中行事といえばやはり新人賞でしょう。総合誌主催の作品賞や、現代歌人協会賞など歌集を対象とする賞が発表される時はとても盛り上がります。批評の賞だと、前年出版の歌集歌書に対する歌壇の評価へ異議申し立てができる点が大きな魅力となっているBR賞もだいぶ盛り上がります。
その盛り上がりに比べると、現代短歌評論賞はだいぶ地味です。受賞者の実感としては笹井宏之賞とかに比べるとあまり話題にしてもらえません。しかし、今年の評論賞は、過去いちばん盛り上がる予感がしています。否、盛り上げたい。
今年の課題は「「短歌の現状について」または自由 ※歴史をふまえること」でした。評論賞が無茶なお題を設定するのは毎年のことですから、評論賞の応募要項が時評で取り上げられることはほとんどありません。けれども今年は選考委員が一新されました。留任は評論賞の最年少受賞者である寺井龍哉のみ。新たに選考委員となったのは川野里子、松村正直、土井礼一郎の3人です。選考委員たちのこれまでの仕事を参照すると、評論賞のお題に込められた意図をなんとなく推し量ることができます。
先に種明かしをしましょう。今年の評論賞はおそらく過去の短歌ブームと、ここ数年の短歌ブームにおける共通点と相違点を論じた評論を求めています。推量の理由を批評家っぽく語るならば、短歌史の差異と反復(※1)を明らかにすることで評価されてきた評論家が抜擢されているからだ、となります。「差異」は直線的な時間上における過去と現在を比較したときに見えてくるものです。対して「反復」は、いつでも繰り返される循環的な法則を提示します。例によって註は適当に読み飛ばしてください。
難しい話はさておき、現在に近いところから紹介しましょう。

土井礼一郎は2019年、第37回現代短歌評論賞の受賞者です(※2)。この回のお題は「現代社会と短歌」でした。評論題は「なぜイオンモールを詠むのか:岡野大嗣『サイレンと犀』にみる人間性護持の闘い」。管見の限り総合誌に掲載された唯一の岡野大嗣論です(※3)。以下に要旨を紹介します。
土井ははじめに短歌に詠まれる言葉(=歌語)として「イオンモール」がどのように短歌に用いられているか、例歌を8首引用しつつ、イオンモールの没個性的側面やSF文脈との接合可能性など、歌語の傾向をいくつか取り出していきます。『サイレンと犀』に関しても同様の手法で「イオンモール」に関する歌を引くのですが、土井は岡野が「おそらくもっとも自覚的にイオンモールを詠んでいる」点に注意を促します。岡野の作品も引きましょう。

夕焼けにイオンモールが染まっててちょっと方舟みたいに見えた
/岡野大嗣『サイレンと犀』(2014)

方舟は「すべて命あるもの、すべて肉なるもの」(創世記6章19節)を収めた巨大な舟で、そこに行けば必要なものが全て揃うように錯覚してしまうイオンモールと確かに似ています。土井は掲出歌を含む歌を4首引いて、岡野がイオンモールと夕焼けを取り合わせることを示しつつ、「主体とイオンモールの友愛が太古の昔から宿命づけられていたかのような味わいが生じる」ことを語っています。
とはいえあまり納得できない議論ではあります。三浦みうらあつしの『ファスト風土化する日本』(2004)を参照するまでもなく、イオンモールをはじめとする巨大ショッピングモールや、そこに出店するチェーン店の存在は、地域ごとの特徴や人間性を失わせる装置として語られる傾向にあります。
けれども土井は、都心と郊外との対比によって「人間性の要塞としてのイオンモール」というテーゼを語ります。近代以降の都市では、生産=仕事のための空間と、再生産=生活のための空間が地理的に分断されていきました。前者が「都心」、後者が「郊外」です。イオンモールは郊外にあり、郊外は再生産、平たく言えば生活と生殖の場です。
『サイレンと犀』の主体は一人前の〈男〉として郊外での生活を肯定しているわけではなく、あまり生活にうまくいっていない様子はうかがえます。これまで若者たちは、書を捨てたり捨てなかったりしながら大都市圏の都心に繰り出し、住み着いてきました。しかし岡野の主体は郊外を出ません。土井は『サイレンと犀』で唯一地名を詠んだ歌に注目し「効率化の舞台である都市の中心を忌避し続ける主体」を読み取っています。比較対象は永井祐の『日本の中でたのしく暮らす』です。

地球終了後の渋谷の街角に聞こえる初音ミクの歌声
/岡野大嗣『サイレンと犀』(2014)

大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円
/永井祐『日本の中でたのしく暮らす』(2012)

土井は、世界が終わってはじめて「岡野の歌の主体は渋谷という具体的な地名をもつ街に足を踏み入れることができる」ことを指摘しています。00年代登場の永井と、10年代登場の岡野において、未熟なままの若者というテーマは反復されています。しかし両者の差異は、都市にとどまるか、そこから撤退するかという点に見出すことができます。土井礼一郎の評論は、その撤退戦に「人間性護持の闘い」という文脈を与えた点が画期的であると言えるでしょう。土井さんは今年の日々のクオリアを担当されているので、ぜひそちらもお読みください(→日々のクオリア)。
歌を引く余裕はありませんが、土井さんの第一歌集『義弟全史』(2023)は歌の中で家族という小さな社会を批判的に見つめつつ、同時に虫などの小さい存在への偏愛に満ちているスリリングなものでした。

余談ですが、岡野大嗣の近作についても少し見てみたいと思います。2023年に出版された岡野の第四歌集では、もはや「イオンモール」は詠まれていません。主体は郊外の生活にも限界を感じている様子がうかがえます。

ニュータウンにサンダルの音 人がいる気がしない気がほんとうにする
無課金でいける限界までいった街を見せてもらうバスの中
あなたとの電話をラジオと呼んでいた私書箱に死があふれる夜は
Disc1 さみしいことがうれしいに変わりはじめるころ Disc2
/岡野大嗣『うれしい近況』(2023)

1首目では郊外の代名詞でもあるニュータウンでの生活の気配はもはや空虚なもののように提示されています。2首目の「無課金でいける限界」は「街」が課金していないのではなく、主体自身が「無課金」プレイヤーであることを示唆しているものと私は読みます。オンラインゲームで強くなるためにはお金を払う必要があるように、街で暮らすためにも然るべき行為が求められます。それを保留し続けてきたのが、もはや限界に達したのではないか。
代わりに志向されているのが、音楽の中に保存されている「遥かな他者」(※4)との実現不可能な交流の試みと、音楽という趣味を共有できる他者との交流です。3首目は歌集の巻末歌、4首目は巻頭歌にあたります。
イヤホンを通して音楽を聴くことと、電話をすることは、耳元から声が聞こえるという点で、時間的空間的な隔絶を超えた親密さのイメージをも引き連れてきます。しかし録音を聴いている限りは、例えばCDのDisc交換という物理的な制約によって、たやすく交流は中断されてしまう。そうしたさびしさを感じつつも、主体はいまを生きる人々との交流も同時に試みています。この点に第一歌集から続く「人間性護持の闘い」というテーマを見出すこともできるでしょう。
……この調子で書いていくと過去いちばん長いコラムになってしまいそうです。少し先を急ぎます。

土井礼一郎の評論を確認したのは、短歌史の差異と反復を明らかにすることで評価されてきた評論家が抜擢されていることを例示するためでした。ほかの選考委員についても簡単に紹介していきます。
寺井龍哉は2014年、第32回現代短歌評論賞の受賞者で、この回のお題は「短歌の〈わたくし〉」でした。受賞評論の題は「うたと震災と私」(※5)。東日本大震災後の投稿歌における類想歌の状況を概観しつつ、臼井吉見の短歌批判が現在でも一部有効であることを示したのち、そうした問題に対して歌人たちはどのように短歌の「私わたくし」を運用しているか、当事者性の問題と関連付けつつ論じるものでした。
土井と寺井が評論集をまだ出版していないのに対して、松村正直と川野里子には評論の著作が複数あります。
松村正直は90年第半ばに短歌をはじめ、1999年には角川短歌賞の次席になっています。初期の評論の仕事で代表的なものは、短歌評論同人誌『D・arts(ダーツ)』に発表された評論群でしょう。サブカル用語を使った短歌、ゴルフの短歌、家屋の短歌など、評論においては時代を通してひとつのテーマを追及する姿勢を示し続けています。これらは評論集『短歌は記憶する』(2010)でまとめて読むことができます。

川野里子については、2021年に書肆侃侃房から『幻想の重量:葛原妙子の戦後短歌』(2009)が復刊されていますから、この仕事で覚えている方が多いかも知れません。けれども短歌ブームの差異と反復を意識した際に思い出されるのは、川野がはじめて総合誌に発表した評論である「新しさが発酵するとき:普遍性をめぐって」です。これは1987年1月刊行の『現代短歌雁』創刊号の冒頭に新鋭評論として掲載されています。『サラダ記念日』出版の少し前に発表されたものです。川野里子は水原紫苑と同世代で、評論発表当時は28歳。90年代には新鋭歌人の一人として評価されるようになります。
さて川野はこの評論で、前年に角川短歌賞を受賞した俵万智の短歌について、技法面から3つの新しい点を挙げていきます。ひとつが古語や枕詞を自在に滑り込ませる点。川野は「言葉のアナクロニズム」と呼んでいます。次に会話体・口語体を導入している点。これはよく言われることですね。最後に新しい固有名詞を使用している点。これもよく言われます。こうして過去の短歌との差異を明らかにしつつ、けれども、既存の短歌にもそれぞれの新しい技法を実践したものはあると、例歌が引かれます。
では、俵万智の新しさはどこにあるのか。川野は、読まれている恋愛の内容はオーソドックスだが、それを既存の湿っぽい短歌的抒情ではなく、軽快な語り口で描いたという、形式と内容のアンバランスな組み合わせにあると答えます。それが俵万智作品を読む際の安心感につながるのだ、と。
ところで先に刊行された『短歌研究』2024年4月号では短歌研究社からの俵万智選歌集刊行を記念して「時を超えて、俵万智」が特集されていますが、特集内の文章は、こうした批評の蓄積を意識するとよりおもしろく読めるようになります。私は特に、普遍的な物語と俵万智作品の呼応について論じたユキノ進「「俵万智」という大きな物語」をおもしろく読みました。
「新しさが発酵するとき」に話を戻しましょう。川野は普遍性と新しさに着目しつつ、俵万智だけでなく阿木津英、河野裕子、平井弘、葛原妙子の作品についても論じています。そしてこの評論は「言葉が普遍性の衣装としてでなく、普遍そのものとして深く個人の胸に抱かれるとき、新しさは普遍性の内側でゆっくりと発酵しはじめる」と結ばれます。かっこいいですね。評論におけるこうした姿勢を忘れないようにしたいものです。

ここまで、評論賞の選考委員の仕事を現在に近いところから遡行していき、1987年までたどりつきました。87年は『サラダ記念日』による空前絶後の短歌ブームがはじまる年です。その4年前、1983年にはひとつの興味深い評論が発表されています。
その評論とは、永田和宏「普遍性という病:読者論のために」(※6)です。永田はまず『短歌現代』1983年3月号の特集「30代歌人の現在」(※7)に自選歌を寄せいている54人のうち、24人の女性歌人の作品に注目し、彼女らの自選歌24首には固有名詞が極めて少ない点を指摘します。特集参加者の具体的な名前を拾うと久々湊盈子、沖ななも、河野裕子、道浦母都子、花山多佳子、王紅花、阿木津英、永井陽子、今野寿美など。永田は他の母集団とも対照コントロールをとった上で、この集団の作品には固有名詞が少ないことを確認しています。
永田はこの事象について、想像力によって世界が構成されている可能性を挙げ、その自家中毒によって歌が弱くなっていることを指摘します。また作者によって意識的に消されている可能性を挙げ、その根底にある素朴なリアリズムからの脱却、抽象化と普遍化の志向を指摘しつつ、それによって抒情のバリエーションが類型化してしまう問題を語ります。永田は前者を「想像力の自家中毒」、後者を「普遍性という病」と名付けています。
紙幅の都合もあるのでしょう。永田は批判対象の歌を引いていません。ここでは特集から少し歌を引きます。

人は人を皮膚一枚に隔ちつつ危ふき人語あやつるものか
/河野裕子 →『はやりを』(1984)

子守唄うたい終わりて立ちしとき一生ひとよは半ば過ぎしと思いき
/花山多佳子 →『楕円の実』(1985)

人間はひとつの不潔なる川ともたるる窓に夕茜燃ゆ
/阿木津英 →『天の鴉片』(1983)

悪友と呼ぶいちにんをおしなべて好みを持てり男は誰も
/今野寿美 →『星刈り』(1983)

いずれも人間の本質やこの世界の法則など、普遍性を感じさせる名歌です。しかしながら、そうした普遍性の希求は個別性を抑制し、歌の類型化をもたらす危険も確かにあります。
永田は表層的な批判にはとどまりません。論はいずれの志向も前衛短歌運動の時期から推進されてきたものであることに注意を促し、その背後にある不特定多数の読者という問題まで踏み込みます。

まず、できるだけ多くの読者にわかってもらいたいとする立場がある。好評を得たいし、歌集も売れてほしいし、あわよくば愛誦歌として後世にも残ってほしい。これは極めて自然な、誰にでもある欲求である。ある人の作品が好評を得、話題になりはじめると、ほかならぬ文学の分野においてさえ、一種の流行現象、ブームが招来されるという事実がそれをよくものがたっている。〔/〕この無理からぬ欲求の危険性が、読者へおもねり・・・・という点にある事はいうまでもないだろう。〔中略〕殊に現代のように読者が〈不特定多数〉として顔をもたない場合には、できるだけ多くの人に、という立場は、いきおい最大公約数的にならざるをえない。〔中略〕言いかえれば〈普遍性という病〉とは、作品の発表形態の変化によって、惹き起こされたすぐれて現代的な症候群シンドロームの一つなのかもしれない。

永田和宏「普遍性という病」(1983)→『解析短歌論:喩と読者』(1986)

まるで1987年の短歌ブームを予見しているかのような文章です。しかし繰り返しますが、この問題の根底には歌人が不特定多数の読者を意識せざるを得なくなったことが横たわっています。この状況は現在の短歌ブームと何が違うのか。永田はこのあと、敢えて想定読者を絞り込む方向へ舵を切った岡井隆の作品を成功例として分析し、しかしその方向性が単なる近代への逆行になってしまう危険を示唆して論を閉じています。
過去のこうした評論を読むと、ついつい歴史は繰り返されるとか、歴史の法則を取り出したい気持ちに駆られます。しかし当然ながら、過去は現在ではありません。反対に、過去と現在の違いに注目しすぎると、過度に“いま・ここ”を特殊化する語りに誘惑されます。評論を書く際には、安直な繰り返しを語らず、安直に現在を特殊化せず、短歌史のある地点と極めて似ていて、同時に極めて似ていない歌壇の現在を描写する必要があります。
明治末から終戦直後まで、つまり一般的に近代短歌と呼ばれる時期には、短歌滅亡論が繰り返し語られました。1950年代半ばから15年ほど前衛短歌が影響力を持ったのち、1970年代ごろからは短歌の大衆化による歌壇崩壊論が語られるようになります。歌壇はずっと危機にさらされていたようです。
篠弘が滅亡論を近代短歌の特徴と挙げたように、歌壇崩壊論を現代短歌の特徴として語ることもできる気がします。短歌ブームを前に、今度こそ崩壊するかもしれないという危機意識にも共感できます。けれども、私は崩壊ではなく変容としてそれを語りたい気持ちがあります。これから私が生きていく世界を悲観したくはありません。

遅れて現れた歌人としての私たちには名前がつかない。世代を括って語るのは、リスキーだから。つけてくれる人がいないから。まとまった特色が無いから。短歌の歴史を更新できていないから。増え続ける情報の中で、体系的な歴史を記録することをみんなが諦めてしまっているから。小さな牽制をしあっているから。私たちに今あるのはそれぞれの個人名だけ。

乾遥香による「編集後記に代えて」『現代短歌』2024年5月号

こう、ひりひりとした絶望を語りながら、乾遥香はこれからの短歌を諦めていません。私も諦めたくはないし、いま短歌を作る人にも、評論を書く人にも、諦めてほしくないと思います。

私は「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマの信徒への手紙第5章3-4節)という言葉を知っていて、口の中で転がしたりします。今月も結局とても長くなってしまいました。

 


※1 ジル・ドゥルーズに『差異と反復』という著作があります。同書の提供する議論を私はきちんと理解できている気がしませんが、たまに論文や解説書と付き合わせてあれこれ考えたりしています。

※2 『短歌研究』2019年10月号掲載。評論賞発表特集のほか、過去の評論賞受賞者を集めて「わたしを目覚めさせた評論」というお題で評論の神髄とは何かを書かせています。どれも評論賞に応募する前に読みたかった文章たちです。

※3 『短歌研究』2022年8月号の特集「短歌ブーム」に岡野大嗣インタビューの掲載あり。2024年は『サイレンと犀』刊行から10年目にあたります。例えば大森静佳の第一歌集『てのひらを燃やす』刊行は2013年ですが、総合誌上の大森評と岡野評の数には雲泥の差があります。新人賞や歌集賞といった歌壇的手続きを踏んでいない歌人に対して評論が遅れがちになるのは嘆かわしい現状だと思います。

※4 穂村弘『短歌という爆弾』(2000)第3章のうち「氷河に遺体がねむる:〈遥かな他者〉と〈われ〉」では、作中主体と遠くの存在を対比させることで、主体の生のかけがえのなさが浮かび上がるという短歌の構図を解説しています。

※5 『短歌研究』2014年10月号掲載。

※6 『短歌現代』1983年9月号掲載。NDLデジタルコレクション個人送信サービスにて閲覧可能。永田は当時35歳。2024年の藪内亮輔、大森静佳、𠮷田恭大、吉田隼人らと同い年です。『解析短歌論:喩と読者』(1986)に収録。

※7 『短歌現代』1983年3月号の特集もNDLデジタルコレクション個人送信サービスにて閲覧可能です。さしずめthe anthorogy of 54 tanka poets born after 1944といったところでしょうか。