柳 宣宏


モチーフについて、世界について~駒田晶子歌集『光のひび』をめぐって~

2011年3月、駒田晶子は出産のために仙台の病院に入院していた。

彼女には二人の子どもがいた。歌集『光のひび』は、彼女の子どもの歌から始まる。

 

六歳はテレビ寄席が好き一歳にちょいとおまいさんなどと呼びかけ

立つことを知り始めたる子はひとり額に星を貼りておとなし

 

六歳の子は、すでに自分の世界をもっているらしい。いや、子どもは世の中の枠にとらわれないし、他人の評判なんか気にしないから、みんな自分の世界でわくわくしながら生きているのだろう。個体発生は系統発生をとんでもないスピードで経験する、と聞いたことがあるが、二足歩行に移行したばかりの子どもは、初めて地上に立った人類と同じ感情に浸っているのかもしれない。彼は生態系の頂きに立った証に、星を額にはりつけて感慨に耽っていたのだった……。

 

カメラ付きインターフォンの画面には神を勧める女がふたり

ラ・フランス ゼリーに沈み人体の標本のようにつめたくしずか

 

子どもたちの幼い幻想空間を共有する若き母親は、エイリアンのごとき外来の異邦人を当然ながら受け付けない。ゼリーに沈む西洋梨、ホルマリンに漬けられた人体。西洋梨も人体も液状のものに守られて存在する。連想は羊水に及ぶ。二首目の歌は、家族とは守られるべきものというイメージが濃い。

一家のおじいさんやおばあさんは、世話を焼かなくてはならない年寄りである。でも、世話をしている嫁さんだか娘さんだって、やがてはそうなる。70年後には、幼い子どもだってそうなる。家族というのは、つまるところ、弱い者と弱くなる必然性を秘めた者とが共に暮らす、弱小な共同体である。と、まあ、そう書いてある文章を読んだことがある。駒田晶子のうたう家族は、そんなことを思わせる。

出産のために入院した彼女は、こううたう。

 

病院の食事トレイに載っているわたしの名前を日に三度見る

 

病院という社会に暮すことになった彼女は、患者という意味を付与される。他者からそのように認識される者として、名前は記号となった。他者にとっての他者である自己が、あからさまになる。家族間では、そんなことはなかった。みんな同じゼリーのようなものに守られていた。

 

おかあさんげんきですかと六歳のつよき濃き文字の手紙をたたむ

 

家族を強く意識した歌である。

歌はそれぞれに魅力的だが、一方で、閉じた、小さな、ひ弱な世界であることも否めない。

しかし、この後、歌集の世界は大きく展開する。そして、この家族詠は異なった役割を担う。

 

 

放射能の雨が降るよと伝えくるチェーンメールの青きつらなり

二〇一一年 水無月

この朝のひとつのひかり生まれきたる子の濡れている髪がまぶしい

父の住む家のそばには放射能含める汚泥の嵩ばかり増ゆ

 

東日本大震災の日、彼女は仙台の病院に入院していた。当日、ライフラインの絶たれた病院で、帝王切開の手術を受けた方がいたことを、自分は短歌で知った。彼女は、6月に無事出産。その子は、大地に放射能が滞留するこの世界に、生を享けた。駒田の両親は、福島に暮す。そこには、目に見えぬ放射能が、嵩をなして迫るように、実感される世界であった。液状のものに保護されているはずの彼女の家族もまた、目に見えぬ敵性物質にとり囲まれることになったのである。

 

福島の誰も帰れぬ地に降りる雪はしずかに嵩を増やしぬ

 

福島に暮らす人や暮していて避難した人のことを思ってみる。災厄の前と変わらない暮しを送りながら、不安が消えない毎日。朝が明け、夕べには暮れてゆく、震災前と変わらない空。しかし、放射能は圧倒的に量を増し、住み慣れた家は無人のままに荒れ果ててゆく。それを思えば、悲しく、悔しい。歌の中に降る雪は、それらの人々の魂を悼むかのように美しく悲しい。

地震や津波は、多くの人々の命を一瞬のうちに奪っていった。だが、空や海や大地を奪うことはなかった。核という人為は、空と海と大地を奪った。福島の人は、知っている。いま、放射能に汚染された土を除去しても、雨となって地に深くしみてしまったそれや、山林の木々や落葉に降った雨による汚染は、もう除去できないことを。あの時、アメリカ政府がそこに暮す自国民に、即刻避難するように呼びかけたことが、いまさらに思い出される。それほどにひどいことだったのだ。

繰り返すが、くるまれ、守られているはずの作者の家族は、敵性物質に囲まれた。家族の内側を、いとおしむように歌っていた作者は、汚染された世界の中に、家族を置いて見ることになった。作者は、自分が、何を、初めて気づいたのかを、「あとがき」に書く。いい文章なので、長いけれど引用する。

 

「ここから福島原発まで、百キロないんだぞ~。お前ら、わかってんのか?」

今から二十年以上前、高校の倫理の教師が、授業中に突然言った。黒板にチョークで福島県のかたちを大雑把に描き、沿岸地方に点を打ち、その部分を中心にぐるり、ぐるりと放射線状に○で囲んでゆく。たった六十キロしかないんだぞ、という言葉をぼんやりと聞いていた。その前後は、まったく覚えていない。

あの授業から二十年近く経って、東日本大震災、そして福島原発での事故があった。あぁ、先生が言っていたのは、このことだったんだ、やっとわかった、と自分の左側から日の光が差していた教室を、わたしは思い出していた。

 

平凡な地方都市なりき福島ってどこだっけ?と東京で聞かれたっけ

力点はオリンピックにもう置かれ天秤の皿の上の東北

京の夢逢坂の夢東京の夢福島の夢な忘れそ

ふくしまの花も実もある平凡なふるさとともう誰も笑えず

 

福島県の全図を思い浮かべ、原発とその周囲60キロを俯瞰し、その中に親の住む場所を見出した作者は、世界との関係で自分をうたうことになった。

平凡な県、福島。いささか退屈だが、穏やかで、のんびりとした、つつがない暮し。そこは一転して、日本で最も注目される県となった。放射能にもっとも汚染されている土地として。福島に暮らす人や暮らしていた人は、汚染された人のように思われることもあった。実際にそんなことを言われた人、そんな目で見られた人は少なくないはずである。作者の悲しみは深い。福島は、もう一度「花も実もある平凡な」県になれるのだろうか。情報集積都市「東京」の人は、福島の次はオリンピックだと騒いでいるが……。「天秤の皿の上の東北」とは、卓抜な比喩である。皿のもう一つには、「東京オリンピック」が載っている。東京開催をめぐる狂騒曲が、鳴りわたっていた頃の歌であろう。本来は比較できるようなものではない、二つの事柄である。それが、情報として等価に扱われている、とうたったところに、現実への批評がある。

 

なかなかに引き抜きにくい釘ぬけぬままぬけぬけと都市の明るさ

 

「なかなかに引き抜きにくい釘ぬけぬまま」までは、同音反復の序詞として「ぬけぬけ」を導く。よく言われる構図がうたわれている。地方の産業のない地域に、補償金と雇用を約束して原子力発電所を建て、その電力によって都市は夜も煌々と灯を灯している。「東京」の人は、知識としては知っているかもしれないが、それでも平然と電力を消費してやまない。一方で、福島の人は、なぜこんなことになってしまったのか、という割り切れないやるせなさと怒りを打ち消すことができない。序詞はただの同音反復ではなく、東京の人に対する痛切な批判が刻まれている。

 

歌集『光のひび』を読みながら、静かな興奮を味わっていた。新しい何かが生まれるのに立ちあっている気分、そう言っていいかもしれない。

歌集は、子どもの幻想をいとおしむような歌から始まった。現実に対して、無垢な感情を守ろうとするかのように見えた。それは、外に対して閉じることで、守られるかのようでもあった。それが、東日本大震災とそれに続く福島原発災害によって、変った。目に見えぬ、いまに続く災厄に囲まれたわたしたち。それが、歌う主体となった。自分や家族や、ひいては福島の人たちという実体のある「わたしたち」を、放射能に汚染された世界に置いて、作者は歌うことになった。

それは、極私的な体験をモチーフとして歌いながら、そのモチーフを世界の実相に届くまで深めた文学的行為に他ならない。

フクシマや原発は、普遍的な主題であることに間違いない。けれども、そのことを題材にしたからといって、文学作品が生まれるわけではない。歌は拵えるものではなく湧くものである、と伊藤左千夫が言った、ということを玉城徹の文章を読んで知った。玉城自身は、こちらに歌いたいことがあって、それを定型の型に嵌めれば出来上がりというような歌い方を、否定してやまなかった。相互に近いものが通底しているようだ。わたしも、そう思う。

駒田の歌には、世界がうたわれている。か弱い存在である家族と汚染された外界という単純な図式だが、そこから読者の想像はふくらむ。短歌という小詩形で、それを歌えただけでも大したものだと思う。

 

『光のひび』を読みながら、一方で、米川千嘉子の歌集『吹雪の水族館』の中のいくつかの歌を思い出していた。

 

マスクしてみな梟のやうに黙つて 前代未聞もつぎつぎ忘る

 

下句が突き刺さる。駒田が、福島なんか忘れて、東京オリンピックの誘致に血道をあげている、と批判したことが、思い出されるのだ。「前代未聞」と言いきった米川の歌には、テロや内戦といったことなども暗示される。それらに関して、内にこもって黙っている日本人を、米川は「マスクして」と言ったのだろう。

こういう歌もある。

 

死を受け入れがたければ

犠牲者の名の空白も刻まれて碑は立てり学校の残骸に向き

 

震災の2年後、2013年の夏に詠まれた歌。学校とは、石巻の大川小学校。多くの学童が命を奪われた場所である。石碑に空白の部分があるのだ。詞書のとおり、子どもの死を認めたくない親がいる。認めてしまったら、心の支えを失ってしまうから。不条理を受け入れがたい感情を、米川は受け止めた。多くの都会の人は、どうだろう。震災当時の感情を、忘れていなければいいのだけれど。

 

パーティーははじまり小エビのカクテルもチョコのムースも生者の取り分

 

震災とは直接に関係ない歌である。いつ、どこの、パーティーだかわからない。だが、米川が、前代未聞の数々を忘れず、おびただしい死者のことを忘れていないことだけは、たしかである。

個人的、かつ日常的なモチーフを、世界の実相に届くまで深めることは、文学的な営為であることをあらためて思う。自分のことだけではなくて、あなたのことも忘れてはいない、というのはなかなかに人間らしいと思うのである。