柳 宣宏


確かなものの方へ~檪原聡歌集『華厳集』をめぐって~

 

確かなものは、何か。考えないで済むのなら、そりゃあ考えないで済ませたい。でも、Yahoo!

ニュースの見出しだけ見たって、人が無惨に殺されない日の方が少ない、って思う。個人的かもしれないが、歌を読む喜びのひとつに、ああ、こういう心持ちで生きてみたいな、と思う1首との出会いがある。そういう歌を読むと、玉城徹が「生を強める」ということばを残したけれど、生を強められたと思う。

 

檪原聰の第7歌集『華厳集』を読む。

 

海峡に夏来りけり青草の帽深々とねむる少年

 

昼過ぎであろう、生い茂る丈の高い夏草の中に、少年が眠っている。「青草の帽」は比喩であって、「青草色の帽子」というわけではない。「深々と」は、夏草のようすと少年のねむるようすとの両方に掛かる。少年は激しい活動の後なのであろう、ねむりが深い。やがて彼は、大きく伸びをして目を覚ますだろう。その時、少年の身体には、若々しい力が甦っている。その目に、夏の眩しい海が広がる。海峡の海であれば、たとえ見えなくとも、その向こうに対岸の地が予期される。少年は、まだ行ったことがないとしよう。少年の胸に希望が萌しても、何ら不思議はない。

激しさ、それは夏という季節に由来するところが大きい、それに若さ、未知、希望。このようなイメージを掻きたてられる歌だ。少年は誰か。海峡はどこか。それを知ろうという気を起させない。それは、この歌が現実によらない、空想の産物であることを意味しない。この歌のモチーフが、少年がもつ根源的な少年性をうたおうとすることに由来する。

 

予備校の屋根にかかりし冬の月自転車の子が3人帰る

ぶつかり合ひ叫ぶも子らの遊びならむ背中に塾の鞄をゆらし

 

予備校に通う高校生。さぼったりしない、真面目な少年たちである。きっと合格するであろう、なんてことはこの歌の関与するところではない。冴え冴えとした冬の月が、風流人士の好むところのみならず、予備校帰りの少年をも余すところなく照らす。それが眼目。月下の少年の清々しさは、これもまた根源的な少年性であろう。

2首目は小学生らしい。中学から受験ははじまる。視点は同じ。塾に通っていようとも、子どもは子ども。ぶつかり合い、叫ぶのである。子どもが子どもである所以が、こういうところにある、と歌は告げる。

 

焼くる夕日わけのわからぬ固まりとなりて疾駆す少年の眼は

 

結句の「少年の眼は」を、初句の前において解釈するとわかりやすい。少年の眼はらんらんと燃えている。少年は内的な衝動に突き動かされる。傍から見ていて、何をそんなにムキになっているのかわからない。当の本人だって、説明がつかないに違いない。その辺の消息が、「わけのわからぬ固まり」ということだ。肉体は抑制が効かず、やたらと活発で、弾丸のごとく疾駆する。

少年が少年である所以は、理解不能なかかる衝動性にある。若い者は粗野で無謀だから困る、というのは、衝動に突き動かされることが少なくなったか、臆病になったかどちらかなのだろう。

 

春来るあしたの原にたたずめば子供らの声ひびくここちす

 

朝早い時間に、男は野原に一人たたずむ。春の気配に満ちている。歌われている「子供ら」は、実在しない。春という季節のイメージを、子供に託して詠んだ歌ということができよう。それは明るい未来を予感させるようであり、喜びを運ぶもののようである。一方で、子供の本質って、季節でいえば春のようなものではないか、とも言える。明るくて、楽しくて、未来があって―。この歌の場合、実在しない子供とは、子供の本質を抽象したものの謂いなのである。

 

あたたかき歳の瀬にして家族(うから)らは寄りて見つむる生駒嶺の灯を

 

「生駒嶺」は大阪府と奈良県の境にある山である。この歌は、奈良県側から遠望している。中腹に(えんの)小角(おづの)の開創と伝えられる宝山寺がある。(えんの)小角(おづの)は修験道の開祖と仰がれる人で、7、8世紀に大和の葛城山にこもって修行したという。生駒山は由緒正しい、歴史ある山なのである。辞書を引くと次の歌が載っていた。

 

君があたり見つつも居らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも『万葉集』巻第12、3032

 

奈良京の女が難波の男を思って詠んだ歌。あなたのことをいっときも忘れられないという恋心をうたう。「雲がかかるとあなたと心が通わない気がするから、たとえ雨が降っても、雲はかからないでくれ」というのが下句。常套的な発想かもしれないが、切実な感がある。

元の歌に戻る。今年も暮れようとする頃、家族が相寄って生駒山の灯を眺める。「あたたかき歳の瀬」という上句が、今年の一年を振り返って、大過なきことを思わせる。来年の平安を願うのは、誰しものこと。この歌の味わいは「生駒嶺」にある。この家族が生まれるずっと以前から、奈良に住む人びとは生駒山を仰ぎ、願いをかけ、一方で生駒山は奈良の地とそこに住む人びとを見守りつづけてきた。この家族もまた、生駒山に感謝し、願いを込めたはずである。

時間的に、空間的に人間を超える大きな存在を前にした、家族の祈る姿を、この歌は詠む。それは、ある一つの家族の原型と呼ぶのがふさわしい。

 

新年(にひどし)の言葉を交はし寄りゆくにたき火はまたも火花を散らす

 

大晦日の夜に、産土神を祀る近くの社に、初詣に出かけたのである。氏子の誰彼が立ち働き、近所の顔見知りが、自分と同じように一杯はいった面付きで集まってくる。「新年(にひどし)の言葉を交はし寄りゆく」とは、そういう場面である。厳寒にたき火は欠かせない。おのずから人はそこに集まる。すると、たき火に火花がはぜる。闇が一瞬切り裂かれ、再び鎮まると、人は闇を意識せざるを得ない。斎庭には闇と炎とが実在する。それは新年という近い未来に抱く、人間の不安と希望を象徴する。それは無常の存在である人間が、昔から抱いてきた心模様であり、人間性の根源に由来するものに違いない。

 

今までに述べたことを繰り返せば、歌集『華厳集』には、存在の根源を明らめようとする作者の心を強く感じる。歌の対象は、今日の日常的な暮らしの一場面である。そこに、どうして、心が留まるのか。作者は、自分の内側へと、まなざしを注意深くそそぐ。そして、対象と自己とに通底する根源的な何かに至る。何かといったけれど、その何かは、すでに見たように、一首一首には明らかである。わたくしは、その作歌の営みに、そのようにして生まれた歌に、魅かれる。今の世界に確かなものを求めようとするからである。

 

作者は、すでに前歌集『碧玉記』の時に、このような方法に自覚的であったと思われる。

 

さかのぼれさかのぼれとぞ聞こえ来る明けほととぎす山の()の空

 

『碧玉記』の巻頭歌。作者自身の夜明けは、さかのぼることから始まったのである。

 

涅槃図の裏の真つ赤な()の色をうつくしと見て立ち上がりたり

 

「涅槃図」は、釈尊入滅の光景を描いた絵画。絵の中では、人も象も牛も泣いている。入滅に当たり、釈尊は、「一切衆生悉(いっさいしゅじょうしつ)()仏性(ぶっしょう)」、あなた方一人一人の誰もが本来は仏様であり、そうなのだから人生を悩まず苦しまず、楽しく暮らすようにと説かれたという。だが、うたわれているのは「涅槃図の裏」。言ってみれば、現世。地獄もあれば、餓鬼、畜生も棲もうかという六趣輪廻のこの世の中である。それを作者は、「うつくし」と詠む。「涅槃」とは、本来、火を吹き消すこと。苦しみや悩みの消滅した状態をいう。作者が、「涅槃図の裏の真つ赤な()の色」を「うつくし」と詠むのは、悩みの火も苦しみの火も肯定しようということに他ならない。それは、「涅槃」と「六趣」を対立させて、「六趣」の方がいいというわけでは、さらさら無い。涅槃と六趣とは表と裏。一切衆生悉(いっさいしゅじょうしつ)()仏性(ぶっしょう)を、作者はうたうのである。作者は、わたくしがいま述べたような生半可な概説をここで開陳しているのではない。結句の「立ち上がりたり」というのは、この世界をまるごと肯定できるものなのか、やってみようじゃないかという、第一歩を踏み出す気概を表している。

「涅槃」と「六趣」とは、概念としては対立するが、その根底において一つであるという確信めいたものが、すでに萌していたのである。その根源への遡及を促したものについて、『華厳集』の「後記」は次のように語る。

 

東大寺に関係する学園に六年間を学び、大学を出てからはそこに職を得て、いつしか四〇年を閲することとなった。その間、半ばは東大寺の境内に過ごし、心は常に華厳の教えとともにあった、と言ってよいだろう。「一切即一」「重々無尽」とは、万物すべてのつながりを意味する。

 

万物のすべては、根源においてつながっているという確信を、作者は深めていく。『華厳集』の歌に戻る前に、そのプリミティヴな姿を『碧玉記』の歌に見てみたい。

 

天そそぐ雨のおほつぶに濡れそぼちしとしとと行く春の樹われは

おほつぶの雨の力に押されつつ地にのめりゆく人の子われは

 

自然と一つになって生きようとする自分と、世の中の圧力に潰されそうな社会的存在としての自分との葛藤が、うたわれている。道を求める生き方は、こうならざるを得ない。

 

人の子が蜂の子を食ふ野の道は果てしなき青につながりてゐる

 

食うものと食われるものがとが、同じ一つの青空に生きるということをうたう。観念的であるとはいえ、「重々無尽」が詠まれている。

 

さて、『華厳集』にもどる。

 

草いきれ大夕立にしづもりてきらめき光る葉末の露は

 

大きな風景である。「大夕立」が壮観。一面の野原は、照りつける日差しに、草いきれが激しい。そこに夕立がやってきて、あたり一面にたたきつけるかのように降ると、たちまちに去ってゆく。大気中の塵芥は払われ、爽涼たる野原には露がきらめく。「葉末の露」に作者の目が注がれるには、理由がある。ひと粒の葉末の露は、野原一面に降った夕立の名残りであるが、名残りとは過ぎ去った夕立とのつながりを示す痕跡に他ならない。「一切即一」とは、こういうことを言うのだろう。

 

店先に盛られし蜜柑の一山にあつまりてゐる日暮れのひかり

 

冬のおやつに、食後の口直しに、蜜柑は手ごろ。簡単に手で剥けるし。手ごろで、便利な蜜柑だけれど、土も水も太陽もなければ実りはしないということを、私たちはあまり考えない。作者は、そこに思いを致す。なんだか蜜柑が光背を追う仏様のように見えてくる。

 

穂芒の上流れゆく風の音に乗りて夕日の中に戻りつ

 

穂芒をそよがせて吹いてくる秋風の音が、耳に聞こえる。音楽を聞くようで、気持ちがいい。音楽に合わせるように、作者は風の音に乗って帰ってゆく。徒歩でもいいかもしれないが、自転車に乗っていると思うと、さらに軽やかな感じがする。

 

傾いて宙を指しゐる道標の彼方ゆつくり雲は流るる

 

ハイキングコースにでもありそうな光景である。矢印とともにどこそこまであと何キロ、なんて書いてある道しるべ。風雨に晒されているうちに、傾いてしまう。この道標は、矢印が空を指しちゃった。空へ行く気はない、って。いいえ、作者は空を目指す。正しくは、大空を風に吹かれて流れてゆく雲のようになりたいのだ。傾いた道標のかたわらに、いつまでも空を眺めている人がいたら、それは作者かもしれない。

 

いづこより来りしものか娘の子抱き上げてをり青空の下

 

この世に生を享けた赤ん坊。一首に祝意はまぎれもない。結句の「青空の下」という措辞が、すべてのものに祝福されているという感じをもたらす。この赤ん坊は、「娘の子」、つまり作者の孫なのだが、それにしては上句が不思議である。それは、この歌が自分に孫のできたことを喜んだ歌ではないからである。一つのいのちが生まれるとはどういうことか、そこに作者の感慨はある。よく言われることだが、一人の子が生まれるには二人の親がおり、その二人の親が生まれるにはまたそれぞれに二人の親がおり……、というわけで、さかのぼれば一人の誕生にかかわる人の数は無尽数だ。いや、それにとどまらない。一人の人間が親の年になるまでに食べた生き物の数を思えば、想像を絶する。こういう類の話は、かえってリアルさを欠くが、とまれ一人のいのちの誕生には、「重々無尽」のかかわりがあることは言うを俟たない。

 

作者にとって、華厳の教えは、生活する上の基盤であると言えよう。では、生活の基盤とは、どういうことか。暮らしの一場面を、人間の社会的行為としてのみ捉えるのではなく、それを超えた宇宙的な営みの一つとして捉えるということである。それが、「「一切即一」「重々無尽」とは、万物のつながりを意味する」と作者の言うことだろう。この思想は、社会的な規範を超える。つまり、社会的な是非善悪、正邪尊卑を超える。

これは、形而上的な享楽にとどまるものではない。イスラムの教えとアメリカ型グローバリズムとの間に、是非善悪の線引きが可能なのか。立場を違えたら、容易に結論は変わる。この国の安全保障と憲法九条との関係を、明晰に定義できるのだろうか。今の時代に限定したって、相対化の嵐に私たちは晒されていて、常に誰かの言行に右往左往する。

櫟原の作歌の営みは、「さかのぼること」であった。生の根源に、降りてゆくことであった。華厳の教えは、彼にとって形而上の楽しみなのではない。根源に降りてゆく思想的根拠なのである。生きてゆく上で確かなものを求める作者の営みが、この歌集を産んだのだとわたくしは思う。

東洋の思想を、生の基盤、根拠とする作者に共感する。

 

編集部より:櫟原聰歌集『華厳集』は、こちら↓

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