流氷漂流

朝、明けるのもすっかり遅くなりました。東京の街路樹ももうすぐに色づきはじめるでしょう。大田区の公孫樹たちが金色に燃えたつのもすぐですね。土に還っていくはずの落葉が東京ではゴミ扱いだってこと、ずっと残念に思ってましたが、今年は僕の田舎のほうでも落葉を除染ゴミとして片付けなければいけないようです。「ただちに」影響がないと言っていた大臣の顔を見るにつけ、残念な溜め息が出る大井です。

「ただちに」という言葉が、今年は特殊な意味をもってしまいましたが、このブログ形式の「時評」の一番の特長が「ただちに」なんですよね。「アラブの春」という中東の政治的なうねりも、「狂犬」とまで呼ばれた独裁者が倒れたのも、ツイッター・フェースブックに代表されるインターネットの即時性が大きな力を発揮したと言われています。「ただちに」情報を提供し、得ることができるネット・ツイッターは今年三月の震災の時も、携帯電話やスマートフォンから閲覧できる情報源として活用されたと言われています。それらが実際にどの程度まで活用されていたのかは、残念ながら、その全体像を語るまでの情報も見識もないけれど、僕も情報源としてネットやツイッターを頼りにしていた、いるのは事実です(僕が実名でツイッターのアカウントを取得したのは、電話もネットも混雑して繋がらなかった3月11日の夕方でした)。

わざわざネット上にこんなことを書くのは、「短歌現代」の終刊の報に関連して、ちょっと考えておきたいからです。

———-引用ここから———-
昭和五十二年七月号を創刊号として三十四年余にわたり刊行してまいりました「短歌現代」ですが、社長高齢(九十五歳健在)のため、この度十二月号(第四一八号)を以て終刊することとなりました。長い間のご愛読、ご支援ご鞭撻に心より厚くお礼申し上げます。
なお、お預かりしている購読費の残金は整理の上、後刻お返しいたします。
平成二十三年十月
短歌新聞社
石黒清介
———-引用ここまで———-

「短歌現代」の最終ページに、こういう終刊の挨拶が掲載されました。残念です。が、一面では仕方のないことなのかもしれません。雑誌というメディアが、今後どのように存続することができるのか、多分、どんな文芸誌も、いや、どんな分野の雑誌も、今、模索中であるに違いありません。そして当然その模索は、この文章が掲載されているネットというメディアとの並立、または住み分けをどのように考えるのか、という点にかかっているのが現実でしょう。

即時性に優れ、編集後の「印刷」という工程を省略することができる。誤字や脱字の修正も簡単で、公開後でも修正ができてしまう。そうした便利な「出版」が利用できるのであれば、発信者としてそれを利用しない手はないのだと思います。印刷費の削減という点だけでも運用的・経済的には大きな魅力ですが、文字や写真などの静止情報だけに留まらないマルチメディア展開ができたりするネットは、今までにない「出版」の形態を可能にしていく媒体です。新しいことを目指す編集者にとって、魅力的な媒体であるに違いありません(新しいことをやりたければ、の話ですが)。

従来型の短歌雑誌が担っている機能として、3つの「場」を想定することができるのだと思います。
1.作品発表の場。
2.論考発表の場。それに伴う、「歌壇」の一部としての議論の場
3.短歌作者の間接的交流の場。

1については特に言うまでもないでしょう。毎月いろいろな作者の(結社誌とは違った緊張感のもとに作られる)作品が掲載されていて、それぞれに興味深いです。見知らぬ歌人の作品に触れる一番の機会であるかもしれません。3については、投稿作品、添削コーナーなどもそうでしょう。入選常連の作者同士が知り合いになる、なんていう話もよく耳にします。あるいはエッセイや結社誌の紹介などの記事もそうした範疇のものだと思います。
2についてはいささか漠然としていますが、恐らく、ネットメディアが登場したことで一番大きな影響があったと思われているのはこの2の「場」なのではないでしょうか。

———-引用ここから———-
いま論壇はどこにあるのか? そう問われて、すぐに雑誌や新聞をあげる人は多くないだろう。といって、他の回答があるわけでもない。たしかにインターネット上では日々膨大な議論が交わされている。文字のみならず、音声や動画をも利用して。だが、論壇と呼べるかというとどうも難しそうだ。
そもそも論壇とはなにか。この問いは何度も提起されてきた。「論壇」という言葉の誕生以来つねに。理由は単純。実体を特定できないからだ。具体的な人間関係として指せない。登壇資格に相当する大きな賞もない。(略)
論壇誌にたびたび登場し、論壇時評などで言及される論客が論壇の成員として認知される。論壇誌が特集を組み、時評で整理されるテーマが論壇的な課題だとみなされる。(略)結局のところ、論壇の輪郭は事後的に決定されるほかない。ずいぶんとあやうい成立条件である。だがこれが実体なき論壇の実態だ。(略)
情報技術の刷新により、意見発信の回路は激増した。この事態は全体的な統合を崩壊に導く。いや、はじめから全体性など幻想だったのだろう。実態が技術により可視化されただけだ。ツイッターを想起するとよい。ユーザーは関心にそって論者を選出し、画面をカスタマイズする。それゆえ、眺めている言論の風景は各自で異なる。論壇が無数に併存する世界。時評が扱う論壇もあくまでその一つでしかない。
「いま論壇はどこにあるのか」大澤聡(日本学術振興会特別研究員)
朝日新聞夕刊2011年10月25日
———-引用ここまで———-

以前この欄で「僕は「歌壇」なるものを実際には見たことが無いんだけど」と書いたことがあります。そうした漠然とした実感も共通のものかもしないと思うような文章が、朝日新聞に掲載されていました。ここに引用した大澤聡さんの文中の「論壇」を、全て「歌壇」と書き換えてみても、そのまま意味が通じ、かつ適切なまとめであると言えるんじゃないでしょうか。言論の「場」としての「壇」が(それが「論」であろうと「歌」であろうと)、ネットメディアの発展によって、その崩壊状態が露わになったのだといえるのかもしれません。

けれど、雑誌が終刊になったり、相対的に衰退していくことで明らかになる、こうした「壇」の崩壊が、それ自体として深刻な問題かというと、実は僕はあまりそう重要な問題だと思ってはいないんです。
「時評」のスピードが早くなり、なにかのシンポジウムについての論評がその日のうちにウェブ上に公開されるなんていうことは単にタイミングの問題だし、そうした素早い情報提供や論点の整理が、そのものの本質を捉えているかどうかは、スピードとは別の問題です。今後はそれらの論評も、自然淘汰されていくでしょう。どんなフォロワーがつくか、フォロワーからの反響がどれほどあるのかという、読み手の側からの選択がそうした淘汰を可能にするんだと思います。長く生き残ったものが正史になるというのは、論にとっての本質ではありませんが、必ずしも正しい論だけが発表されるわけではありませんから、時間という篩を利用する必要があります。カルト的な人気を保つ論者というものも出現しそうですが、それはなにもネットに限ったことではなく、結社だって同じこと。だから、スピードや「壇」の分極化が本質的な問題なのではないんだと思うんです。

実際、雑誌というメディアが先細りでなくなっていくことで予想される一番の問題は、先の分類でいう「1.作品発表の場」の問題なんじゃないでしょうか。
「なに言ってんの? ツイッターで作品を発表してる歌人だっているし、ブログ・フェースブック・mixi……何だって発表できるようになってんじゃん。」と言われちゃいますよね。確かにそうです。先の大澤さんの論にもありましたが、「発信の回路は激増」したのです。けれど、その発信の場がネット空間であるということの中に本質的な危うさがあるような気がしているのです。

ある歌人が作品をブログやツイッターで発表しているとします。その歌人が「集」として作品を編もうとした時、それは本になるでしょうか。データとして残そうとするのであれば、データ集積の方法として「検索キー・集約キー」を用意するだけで「集」を編むことができます。そう。「本」という物理的な形態を取らずとも、作品を発表できる状況は、その作品が「データ」としてのみ残り、物理的には存在しないということです(厳密に言えば、ハードディスク上のビット状態という物理的な存在はあるんだけど)。
その場合、その作者が死んでしまったら、その「集」は、その作品はどうなるのでしょうか? 誰も触れないままにプロバイダー契約が切れ、ディスクからアーカイブされ、消えるのを待つだけになるのでしょうか。あるいはその「作品」やその歌人との思い出を愛する人達が、データをコピーし、それを保存・公開するかもしれません。その「集」の原本がなくなった場合、ネット空間上に流れていくのはコピーということになります。原本が存在しない、それ故、常に漂流する、実体なきコピーが「作品」として複製され続けることになります(この辺、瀬名秀明の『デカルトの密室』なんかを思い出しますが)。
これ、どこかで見たような気がしませんか? そう。写本です。万葉集の「原本」はどこにあるでしょうか。ありません。源氏物語の「原本」はどこにあるでしょうか。ありません。ないんです。でも作品としては伝承されている。それはその作品を懸命に写し、伝えた人が居たからです。

例えばそうした「実体なき作品の漂流こそが「作者」の希望だ」、という作者もいるかもしれません。日本語の歴史の中に、無記名の作者として残り、いつしか日本語の古層を形成することができれば、日本語で作歌するものとしては、それで充分、本望だという思いも、まあ、わからないではありません。自分の言葉が日本語の古層になる。日本語で創作をするものにとっては、ロマンティックな理想かもしれません。けれど結果的に「原本」が存在しない作品は記憶の深層に沈潜する前に、忘れられてしまうかもしれません。いや、忘れられたかどうかも検証ができない。あるいはまた、写本を校合し、本来の「原本」の姿を再現させたくなるような作品を創るなんて、それこそ創作者の本望じゃんか、と言われるかもしれません。あるいはまた、昔の「写本」とデータコピーとでは全く比較にならないよ、という人がいるかもしれません。「だって、コンピュータのデータなんだから、完全にコピーできるに決まってるじゃない」と。はい。恐らく、ある程度コンピュータに詳しい人はそう言うでしょうが、コンピュータの運用に携わったことがある人ならば、そうは言わないでしょう。簡単な質問です。5年前に使っていたコンピュータから、今、データを抜き出せますか? そのデータを今使っているコンピュータにコンバートできますか? ある程度可能で、ある程度不可能です。エンコード・デコードが常に障壁になります。そうした技術的な問題は今後解消されていく可能性もありますが、解消されない可能性もあります。そうした状況のなかで、実は、作品発表の「場」だけがネット空間上に移行されはじめているということになります。

ある作品を愛し、残そうとする場合、それを流布して多くの人の目に触れるようにするという努力とは別に、その作品を跡づけ、作者の「仕事」の範囲を明確にする必要があります。何が「原本」かがわからない、実体なきコピーの状態の「作品」を、印象や個人の思い入れから離れて論じることは、思いの外難しいことです。

「短歌現代」の終刊のニュースの一方で、加藤英彦さんが書かれた朝日新聞「短歌時評」に次にような文章がありました。『小中英之全歌集』が今年七月に佐藤通雅さん・藤原龍一郎さん・天草季紅さんの編纂によって刊行されたことを顕彰しつつ、加藤さんは次のように纏めています。

———-引用ここから———-
時代を超えて愛される歌人がいる。しかし、情報めまぐるしい現代にあっては忘却の速さもまたひとしなみである。歌壇も例外ではない。死後、作品を語り継ごうとする意志がこの一冊に結実した。それは忘却の流れに一本の杭を打ち込むような営為だろう。言葉が詩として響きあう場所がここにはある。
加藤英彦 朝日新聞「短歌時評」2011年10月24日
———-引用ここまで———-

小中さんが鬼籍に入られてから、もう十年ですから、待望久しい集です。佐藤さん、藤原さん、天草さんや、もっと沢山の「短歌人」の方達が協力しただろう『全歌集』についての加藤さんの言葉「作品を語り継ごうとする意志」に多いに共感します。共感しながら。先ほどの質問を繰り返しちゃいます。十年前のパソコンからデータを抜き出せますか?

先ほどまでの論の流れを冷静に見ている人であれば、「大井は雑誌の終刊と、出版の世界に訪れるだろう電子化の問題とを混同して論じている」ということを容易に指摘することができるでしょう。または「大井は今後一切の書籍が発刊されないかのような論調で議論を進めている」と言われるかもしれません。ついでにコンピュータ技術の問題についてもゴッチャにしてる、と。

そうですね。でも。

だって、そうじゃないんですか、今はもう?

流氷の上の白クマ
沈みかけのツバル
みんな何処に行った
見送られることもなく