知らない町を

出張先のホテルではたいてい枕の高さが合わず、かといって枕なしだと不安定なので、結局出張明けは首を寝違えてるか、肩凝りがもの凄いことになってるかのどちらかの大井です。寝違えの後遺症でこの数日、横を向くのが辛いのです。出張はそれなりに楽しいこともあるので、嫌いではないんです。あらぬ時間にあらぬ町を彷徨ってる感じがあって、異邦人感覚を味わうことができるんですよね。寝違えたのを早く治す方法があれば、もっと楽しいんですけど。

知らない町を歩いてみたい、というのは誰しも思うことなのでしょうが、実際に自分の住む町を離れて、風まかせ、ぶらり途中下車の旅なんかに出るってことは、そうしょっちゅうあることじゃないんですよね。まあ、出張で何度も行っているうちに、見知らぬ町が見知った町に変わっていくということもあって、「日常」を脱出するってことは、一面において「反復」を避けるということでもあるんでしょう。「この町に住んだら、どんな友だちができるんだろう」って思う新鮮さというのは、実際儚い「瞬間」への思いなんですよね。

「町」という同人誌が、残念なことに解散してしまいました。早稲田短歌会の瀬戸夏子さん、服部真里子さん、平岡直子さん、望月裕二郎さん、そして京大短歌の土岐友浩さん、吉岡太朗さんの六名が参加した同人誌でした。二〇〇九年五月二〇日の創刊号から数えると二年半ほどの活動期間。「町」を四号まで刊行し、通巻五号目を歌集『町』として出版しての解散です。

幸か不幸か、僕は「同人誌」というものに参加したことがありません。短歌を始めるとき、すぐに結社に依ってしまったので。けれど、僕などとは逆に、結社に参加したことがなく、ずっと同人誌に拠って作歌し続けた歌人も多くいます。たとえば、九十六歳の今も作歌を続けている岡部桂一郎さんは、当初数年間「一路」という結社に所属しましたが、一九四八(昭和二三)年に「一路」を退会し、「工人」という同人誌を立ち上げて以降、ずっと同人誌・個人誌での活動が主だったですし、浜田到さんなどは一度も結社には所属しなかった歌人でした(ちなみに浜田さんは「コスモス」の入会要項を取り寄せて、入会を検討したようなのですが)。あ、随分古い話ししちゃってますね、「時評」なのに。

ヴォリュームをちょうどよくなるまで上げる 草にふる雨音のヴォリューム
梨の木に梨の花咲く大空は君を護ってくれるだろうか
       土岐友浩

冷蔵庫開けば注ぐ橙のひかりのなかで懺悔をしとる
便箋の余白に咲いた褐色の花をなぞればいつまでも雨
       吉岡太朗

今宵発つ駅舎と青い宝石を君の手帳の中に見ている
調律を終えたピアノはハンマーの戻りが速い 冬の雨来る
       服部真里子

鏡に火を放つ花火で道に迷うすみずみに引っ越してくるこわい顔
したいって何、現代のあさがお順に咲いていきヘリコプターはいつでも笑顔
       瀬戸夏子

空のふかさをはかっているが(だまってろ犬ども)ここは土地か時代か
さかみちを全速力でかけおりてうちについたら幕府をひらく
       望月裕二郎

生き先の字が消えかけたバス停で神父の問いに はい、と答えた
どうして手が届かないのかこの町は 地図のよう君の血脈のよう
       平岡直子

各人の作品を、不公平にならないよう二首ずつ引いてみました。

土岐さんの作品は、引いた二首にも顕著に見られるように、繊細な感性が世界と触れ合う「瞬間」が歌になるようです。一首目、「ヴォリューム」という言葉が二度繰り返されますが、それが一つのものだと解釈するのか、あるいは別のものだと解釈するかは好みが分かれるでしょう。たとえば「iPodのヴォリュームをちょうどよくなるまで上げる。草にふる雨音のヴォリュームを消しつつ。」という解釈も可能なら、「草にふる雨音のヴォリュームをちょうどよくなるまで上げる。心のノイズを消してゆきつつ。」という解釈も可能でしょう(後者の解釈のほうが僕の趣味です)。いずれにしても下句の「草にふる雨音のヴォリューム」というかそかなものに耳を澄ませている心は容易に読みとることができます。二首目は「薔薇は咲くが故に咲く」というシレジウスの詩や、白秋の「ナニゴトノ不思議ナケレド」を本歌にしている作品でしょう。土岐さんは薔薇ではなく、梨を据えました。人の視線よりは少し上に咲きますが、手の届かない高さにある花ではないでしょう。見上げるものでありながら、手の届く近さにある梨の花。「君」という言葉は梨の花に対しての呼び掛けとして読むこともできますが、伝統的な解釈での「君」=想い人へおもいを馳せていると読むのが妥当かもしれません。自然の摂理に包まれながら、そうした自然=必然の成り行きの世界は君を護ってくれるだろうか、と問う。自然ではなく人為が、つまり「僕が君を護る」という思いが言葉の底にあるのかもしれない。この歌、優しさ以外の何物でもないのだと僕は思います。

吉岡さんは連作を作ろうとすると、スカトロ系・エロ系の言葉を素材として使い出すってことがなんとも不思議ですが、そうした作品が成功しているとは、僕は思いません。むしろここに引いた作品のように、弱さやマイナーな気分を詩情に転換できるのが吉岡さんの魅力なんだと感じています。冷蔵庫の庫内灯の光のなかで懺悔をするような心の弱った状態は、触れれば壊れるような危い精神状況かもしれません。何に対して懺悔をしたいのか、それは解りません。解りませんが、「しとる」という客観化された言葉に、「わたし」をみつめる「わたし」の存在が感じられて、そしてその過剰な自意識こそが繊細さの表れなんだと思うのです。二首目は、「花をなぞれば/いつまでも雨」というふうに、意識的な空白があるように感じられます。文房具店に便箋を買いに行っても、なかなか男が使うのに適当な便箋はありません。手紙というのは文化的には女性のコードなんでしょうか。だからかもしれませんが、「この歌は女性歌人の作品です」と言われたら納得しちゃいますよね。そうした柔らかで女性的な文脈をも使うことができるのが、吉岡さんの魅力です。無理して放送禁止用語の三文字・四文字言葉を使わなくとも、いいんじゃないかな。

服部さんの歌にはその外延に物語があるようです。「君の手帳」の中に、本当は何が書かれていたのかは解りません。けれど「わたし」は「今宵発つ駅舎」と「青い宝石」をみている。駅舎とは別れの比喩でしょうか。また、「青い宝石」は愛を誓う指環のことでしょうか。いやいや、ブルーダイアモンドは呪いの宝石、違うよ、青い宝石=アクアマリンという意味と駅舎とで海に向う電車のことだぜ。。。。。そんな風に、いろいろな物語を引き出してくる言葉の采配になっています。それは恐らく服部さんの短歌が何処かで「詩」や「小説」を志向していることの表れかもしれません。二首目の歌は、リアリティのある詩情だと感じます。西洋音楽の楽器は、ほとんどがmachineですから、調律=メンテナンスの後は、その性能を遺憾なく発揮するようになります。「わたし」はそのハンマーの戻りを指先と響きとで感じている。雨の前、楽器は少しくぐもった音を出すようになるものですが、この作品の「わたし」はその響きをも聴き分けているのでしょう。

瀬戸さんは「町」の中で一番のアヴァンギャルドかもしれません。あるいは、短歌と現代詩とを意識的に両立・対立させながら言葉を紡いでいるのでしょうか。引いた二首は、それでもまだ定型に近い作品かもしれません。一首目は「鏡に火を/放つ花火で/道に迷う/すみずみに引っ越してくる/こわい顔」と、つまり「6・7・6・11・5」と分解することができます。また二首目は「したいって何、/現代のあさがお順に/咲いていき/ヘリコプターは/いつでも笑顔」と、つまり「7・12・5・7・7」と分解することができます。こういう韻律に一番近い歌人を挙げるとすれば、森岡貞香さんでしょうか。大きく韻律を毀しながら、けれども何処かで「定型」の名残りを感じさせる律の作りというのを長く続けるのは、案外難しいことです。また、瀬戸さんの作品は、オートマティスムの影響を感じさせるものですから、シュールレアリスムスについての現代的な評価も含めて再考しなければならないのでしょう。ある時代において有効だった手法が現代においてもなお有効であるのかどうか。そして恐らくそれは、長く使われている5・7・5・7・7という型式が、現代においても有効なのかどうかという議論にも関わっています。歌集『町』の「あとがき」で瀬戸さんは「老婆になり老婆しかいない町に住み、猫が大量にうろついているごみ屋敷で暮らすという私の10歳の頃の夢が叶うのかどうか(略)」と書いていますが、「いやだわ、瀬戸さん、瀬戸さん、ってば。そんな夢、あなた、何処かの『結社』に入れば今すぐにでもその夢がかなっちゃうわよ!」なんてこと、ブラックユーモアにもならずに叱られそうなので、言いません。はい。

望月さんの作品の魅力は、「最強の内弁慶」とでも言えばいいでしょうか。あ。僕はもちろん望月さんを知りませんから(一度挨拶したことがある程度だったかな)本人を評してではありません。引用一首目にあるような括弧を利用した作品が望月さんには多くあり、一首の中に複数の「声」を響かせようという思いが理解できます。そして同時にそれが一首の中で想定される世界を収束させている側面もあるように感じます。だから、一首完結の世界の中で、粗暴な感じの言葉とは違った地平で、自己完結的な密度を感じさせる作品になっているのだと思います。「空のふかさをはかっているが、ここは土地か時代か」という、非日常的な問いの中に「(だまってろ犬ども)」という、ある意味noisyな「声」が挿入されています。空・土地・時代という、日常の言語利用の中では比較不可能なものを「ふかさ」という言葉で統合しながら、けれど「はかる」ことでしか生きられない人間を基準とし、「(だまってろ犬ども)」と小声または内心で言いながら社会と関わっている。詩と関わりながら、けれども社会的に生きざるを得ない人間の姿を描いているのではないでしょうか。二首目についても同様の批評が可能でしょうか。「「かけおりてうちについたら」といっています。「かけあがりうちについたら」という高揚感ではなく、むしろ沈静に向かう表現の中に、現代の状況が垣間見えます。」なんて言ったら、時代批評的に過ぎるでしょうか。「いや、作者望月君の自宅は実際に坂の下にあるので、これは作者の実際を詠んだものなのである」なんていうアラアラな批評も、相応しくはないでしょう。

平岡さんは今度の「歌壇賞」を受賞した、今まさに旬の作家さんです(あ、「時評」っぽくなってきました)。場面の描写力・定型の使い方が上手だなぁと、この二首を見ても思います。同時にそうした巧さは、平岡さんだけじゃなく「町」の皆さん各人が(当然違いはありながらも)それぞれの作歌のなかで模索しつつ実験していっているものなのだと感じます。平岡さんの一首目「神父」の問いの内容は不明のままです。「はい、と答えた」という「わたし」の行為は「生き先の字が消えかけたバス停」の前でのものです。その暗喩するもの、または答えである「はい」、答えの一部である「、」それぞれについて、読解のための「文脈」を構想しながら読む必要があるのでしょう。二首目は「町」が解散した今よみ返すと、いささか皮肉を感じないわけではありませんが、けれども下句にはハッとさせられます。血脈と地図とが並置されていることで、そうです、望月さんが詠っていた「土地か時代か」が言い換えられているのです。「空のふかさをはかっている」のと「どうして手が届かないのか」とは、そして同じ感情の位相から出て来た言葉かもしれません。こうした相互干渉的な読み方ができるのも、同人誌のたのしみかもしれません。

こうして作品を見るにつけ、「町」が解散してしまうということは、なんとも残念なことだという思いが深まります。

で、また少し古いことを書きます。
岡部桂一郎さん達が立ち上げた同人誌「工人」は、第一期(1948-1952)、「後期工人」(1953)、第二期(1959-1960)、「工人2005」という経過を辿りました。解散? したんでしょうか、しなかったんでしょうか。それはどうでも良いことです。何のことはない。同人誌を出したいという思いが高まったら出せばいいんです。解散? だからキャンディーズの道を択ぶか、ピンクレディの道を採るのか(あ。「町」の皆さんはそのどちらも知らない! えーと。Speedでありたいか、それとも、えーと、えーと、すみません。君ら世代のアイドルは、おじさん、もう知らないんです)。

それと。
歌、やめないで下さいね。

それと。
「町」、近所のおじさんも待ってますから。また、いつか。