次の世代へ

今月の9冊

 

  福永和彦『冬への割符』

  三井修『海図』

  尾崎まゆみ『奇麗な指』

  「木俣修研究」第13号

  「牧水研究」第15号

  「つばさ」第12号

  「歌壇」2月号

  黒田杏子『銀河山河』

  浅井まかて『恋歌』

  

 

1月某日

福永和彦の『冬への割符』

 

 平成24年の秋に亡くなった福永の遺歌集。生前に歌集を持たなかった作者の72歳から85歳で亡くなる直前までの作品が収められている。長澤ちづの跋によれば、72歳以前の作品は別の形でまとめられるそうだ。

 遺歌集を手にするまで、その作者のことを全く知らなかったということが、案外多い。もっと早く知っていれば良かったと残念に思うことが、しばしばある。福永和彦も、遺歌集ではなく、リアルタイムで読んでおきたかった一人だ。

 

  梅雨明けを照るバス停の立ち話「につちもさつちもゆかぬ」男の

  無邪気なる願ひを吊るす短冊ら少しは揺れよ凪の夕べも

  わが庭を近道とする老い猫が通行料一首ときに置きゆく

  大仰に賛辞を捧げ脱けきたる小さき集ひは二次会かいま

 

 日常の出来事をユーモラスに描く。出来事は本当に小さなことで、短歌があるから表現し得る内容だ。おそらく日記にも書かないのではないだろうか。

 1首目は「読み」が分かれると思う。「にっちもさっちもゆかぬ」と言った「男」は作者なのか? それとも立ち話の相手なのか? いや、それ以前に、作者は立ち話に加わっているのか? ただ、聞いているだけなのか?

表現が曖昧と言えなくもないが、多様な「読み」が可能なのは短歌の魅力であり、短さゆえの限界でもある。説明不足のところは読者に任せるしかない。 わたしは、見知らぬ男同志の立ち話を聞いている場面と読んだ。

辞書を調べれば載っている「にっちもさっちも」、ほとんどの人が、現実の場面で使ったこともなければ、聞いたこともないのではないだろうか。死語に近い言葉だと思う。「こんな言葉を使う人がいる」と作者は感心し、ずっと耳から離れない。立ち話していた男の顔や姿は思い出せないが、言葉だけが妙に生々しく記憶に残っている。その生々しい記憶から生れた歌だろう。

 2首目は七夕飾りを見て。短冊が揺れている方が、願いが叶うように感じたのだろう。「無邪気なる」と言っているので、場所は幼稚園をイメージした。あるいは自宅で、孫が下げた短冊だろうか? 

 3首目に笑ってしまった。「近道」「老い猫」「通行料」「一首」「ときに」「置き」、使われている言葉のどれをとっても面白く、またそれを上手く一首にまとめ上げたものだと感心もした。この歌の一番の見どころは、「ときに」だと思う。いつも、ではない。普段は庭を荒らす不埒な奴と思っているのだが、歌が出来ずに唸っているときには、格好の素材となってくれるのだろう。なんともトボケタ味わいの「ときに」には、相撲で言えば、うっちゃりが決まったときの痛快さがある。

 4首目には苦笑いしてしまった。面白いが、相当に辛辣だ。歌集出版のお祝いの会を想像すると、うなずけるところがある。「大仰に」「捧げ」、この皮肉たっぷりな物言いが作者の持ち味なのだ。

 

  のど越しに足らへばよけむ年越しの蕎麦の長さのたのめがたくも

  急ぐなはただの口癖 立ち止まることなどせずもよいですよ春よ

  暑さ呆けせる用無しが洋梨を喰らひつつゐて笑ふでもなし

  何ひとつ知らずに生きてきたのだとそれだけ気付き銀河見てゐる

  

 歌集の構成は年代順になっているので、読み進んでゆけば、作者の衰えが自然と見えてくる。作者も死に近づいていることを自覚しているので、死が歌の中心テーマになっている。だが、作者は嘆いていない。自嘲という方法で、死を恐れる気持ちを軽く躱して、悠然と構えてみせる。

 

  懇ろの介助を賜ひ辛うじて立ち居なしつつ叩く大口

  庭ぐらゐご覧なさいと言はれ見る百日紅に西陽淡きを

  「しみじみ」と書きかけて消すこの日頃思ふことごとなべてしみじみ

  デイケアに知れり誤り覚えたる童謡唱歌の正確な歌詞

  幾十春掃き収め来しその腕か桜降るなか妻が手を振る

 

 最後の歌に泣きそうになってしまった。作者は家の中に居て、妻は庭で散った花を掃き集めている。見られていることに気が付いた妻が手を振る。まるで、この世の別れのように。桜吹雪の中と言うのが象徴的すぎるかも知れないが、限りなく美しい。長年連れ添った妻を思い、感謝し、死の覚悟が出来た。この一首だけ読んでも、作者は歌人としても、家庭人としても、幸せな一生だったなと思わずにはいられない。

 

 

1月某日

三井修の『海図』

 

 次のような歌に立ち止まった。

 

  噴水の止みていきなり濃くなれる夕闇われの身に纏いつく

  まだ砂を零しつついる我ならむこの犬も胡散臭げに見上ぐ

  プラスチック容器を逆さにプリン落す ようにはいかぬ人生とうは

  紙コップ二つをついと触れ合わせかく頼りなき乾杯をする

 

 1首目、昭和23年生まれの作者の年齢を勘案すると、読みが変わってくると思う。噴水の高く噴き上がる水は若さの象徴で、夕闇は老いをイメージさせる。老いというのは、じわじわ身に沁みてくるものではなく、ある日突然に老化している自分に気が付き、愕然とするのではないだろうか。「いきなり濃くなれる」は、まさに突然の、愕然である。

2首目、作者は大学でアラビア語を学び、商社に勤めた。昭和61年から平成元年までバハレーンに駐在している。第1歌集は『砂の詩学』。中東、砂漠のイメージから離れられないというよりも、自分自身で今も中東にこだわり続けているのだろう。だから、胡散臭げに見られても、むしろ誇りなのだ。生きてきた証と言ってもいい。

3首目はプッチンプリンを思えばいいだろう。容器にへばり付くことなく、一気に皿に落ちてゆくプリン。実に潔い。だが人生は・・・容器から皿に転身しようとしても・・・すっと落ちずに、崩れて、ずたずた。納得の比喩である。

4首目は事務所で、仕事が一段落したあとに乾杯している場面だろう。グラスとグラスを触れ合わせたときのような心地良い音もしないし、勢いがよすぎると零れる。「ついと」が微妙な触れ加減をうまく表わしている。「かく頼りなき」は乾杯の様子だけでなく、乾杯の理由をも言っているのだろう。一段落したつもりでいても、いつクレームがつき、やりなおすことになるかも知れない。あくまでも、仮の乾杯なのだ。

以上、人生を反映させている歌。次の4首は意外なところに視線が届き、柔軟な発想により処理された作品。

 

  早春の棟に大工が一人いてしきりに光に鉋かけいる

  社務所裏小さき焼却炉のありて作務衣の僧が火を守りいる

車椅子マークの細き人型は椅子よりわずか浮上している

  制服のスカートの裾が気にかかる女生徒のごと猫は下肢舐む

  

 1首目は屋根の上なのだろう。「光に鉋」をかけるという言葉の発見が楽しいし、「しきりに」がユーモラスだ。2首目、場所と登場人物が読者を引き込む魅力を持つ上に、まるで重大任務かのように「火を守り」と捉えたところがおもしろい。3首目の「へえ」と感心してしまう発見や、4首目の比喩の意外性も、短歌的視野と視力を持ち合わせていないと見えてこないことだ。

 短歌的視野と視力と書いたが、平たく言えば「ぼ~っとしていては、いけない」ということである。素材を狩る意識と言い換えてもいい。次の6首にも意識が行き届いていて、『海図』を代表する、いい歌だと思う。

 

  萎れたる花取り出されて夜の壺再び一人の瞑目に入る

  鳴きて鳴きて鳥はこの世を出でたるやいつしか沢の音のみとなる

  みどりごは眠りたるまま手から手へ渡されてゆく春の立つ午後

  日陰より鳩はいきなり翔びたてり冬の日差しにぶつかるように

  設定を誤りトースト焦げいたり機密情報漏洩したり

  秋の陽が庭に差す午後カステラの底の薄紙外しあぐねる

  

 

1月某日

 尾崎まゆみの『奇麗な指』

 

あとがきに作者は書いている。

「花は咲いているのに、金木犀の存在が感じられない不思議な秋の夜長。初校に手を入れていると、形など持たないまま降りてきた季節をなぞり、彩り、触れるために、あるいは形あるものが滅んでしまったあとも、その心に触れるために、詩歌は在るのではないかという思いが、胸に溢れてきました。」

金木犀の存在が感じられなかったのは、父の死という大きな喪失に原因があるようだ。そして、作者にとって短歌は世界に存在するものに触れるための指のようだ。

歌集には植物の名前がたくさん出てくる。多くは指に触れることのできる植物。身近な植物だ。見落としたものもあるだろうが、歌われている植物を書きだしてみる。

紫陽花、葦、一位、銀杏、イタリア笠松、無花果、オリーブ、柿、樫、楓、霞草、かたばみ、花梨、カンナ、金木犀、樟、梔子、クロッカス、紅梅、桜、石榴、白梅、白真弓、白さるすべり、沈丁花、杉、チューリップ、露草、なでしこ、菜の花、野いばら、萩、花水木、浜木綿、花山椒、薔薇、柊、姫女苑、葡萄、鬼灯、曼珠沙華、紫式部、木蓮、もみじ、藪椿、山桜、雪柳、百合、竜胆、連翹。ちょうど50種類の植物が登場する。他にもミナカテラ・ロンギフィラという菌類も出てくる(菌類が植物なのか判らなかったので別枠にしておく)。

 

  香のあはくひくく来たりて柊と思ふわたしが瞬きをする

  わたくしは運ばれてゆく自転車に季節の映るにはたづみまで

千種川ちぢにくれなゐ雨粒の散るさざなみを鷺はよぎれり

  薔薇の模様の皿のさらさらサラダ菜をちぎるわたしの指を非難す

  ひひらぎの葉裏擬態の鵯はひとの気配に眼をあはせない

 

 1首目、「思ふ」を終止形と取るか、連体形と取るか、意見が分かれるところだが、私は終止形で読んだ。作者は植物の存在を実感しようとして視覚・聴覚・嗅覚・触角を鋭敏に働かせているが、自分を植物化してはいない。自分を花や木のように思わずに、そこに存在することを確かめる対象として花や木を詠んでいる。嗅覚で知った柊の花の存在を、今度は視覚で確かめようとするのであろう。

 2首目、すんなりと言葉を運ばずに、曲折させている。「運ばれてゆく」と「自転車に」をまず倒置して、「運ばれてゆく自転車に」と「季節の映るにはたづみまで」をもう一度倒置する。「運ばれてゆく」という動詞も消極的だし、季節の変化に順応できない気持ちを強く感じる。植物を多く詠んでいるのに、季節の変化に順応できないのは不思議だが、順応できないから植物を詠んでいるとも言える。世界と触れるための指である短歌を用いて、存在する植物を描くことで、季節の中に生きている「わたし」を立証しようとしているのではないか。

 3首目、「千種川」の「ち」、「ちぢに」の「ち」、「散る」の「ち」、そして「さざなみ」の「さ」、「鷺」の「さ」というように音の連続による美しさと心地よさに気配りをしている。4首目の「さ」の音や5首目の「ひ」の音も同じで、この歌集の特徴と言えるだろう。沈んだ雰囲気の歌が多いだけに、音の明るさは救いになっている。

 

  かの時は十八歳でありし父ミズーリ戦艦背景に立つ

  うちがはにゆるく呼吸は満ちてゐて路線バス父の帽子が揺れる

  光りある方へ右手をまつすぐにさしのべて指の紫の爪

  むらさきの爪にゆらぎに触れてみる昇りはじめた父の右手の

  ああ雪と弟の声ゆれながらひえた柩の父に降る降る

 

 この歌集の縦糸は父の老いと死だ。歌数は多くないが、貫く太い糸である。指先に注目する3首目と4首目。存在を確かめるのが指であるならば、不在を確かめるのも指なのかも知れない。

 その他、次の歌に惹かれた。

 

  ノクターン爪弾く指の連なりはやはらかく音ささへて揺れる

  銀の匙のすくふジェラート「永訣の朝」の調べがきんきん凍みる

  春なれば頸椎腰椎緩くなる雪柳撓ふやうな一礼

  からだには水のいのちのにじみつつダヴィンチは肉の輝きを描く

 

1月某日

「木俣修研究」第13号

 

「木俣修研究」の第13号、宮本永子が評論「木俣修の花の歌」で、全歌集に収められている9204首のうち286首(約3%)に花が登場すると書いている。130種類の花が詠まれているそうだ。他の歌人と比較してみないと判らないのだが、3%という数字は少ないような気がする。

 多い順に花の名前が並べられているので書き写してみる。

 辛夷  28首

 沈丁花 20首

 菊、山茶花 17首

 桜   16首

 椿   13首

 百日紅 11首

 梔子  10首

 萩、曼珠沙華 9首

 夾竹桃、藤、サルビア、リラ、葉鶏頭 8首

 また花の色も調べてあり「大まかに分けて赤系34%、白31%、黄13%、紫5%などである」とのことだ。加えて、130首の花の名前を50音順に書き出し、16冊ある歌集のどれに収められているかも明記してある。

 辛夷は12冊に、沈丁・沈丁花は10冊に登場する。だが、ほとんどの花が多くて4冊の歌集で歌われているに過ぎず、生涯歌い続けた花はごくごく僅かである。水仙は4冊の歌集に出て来るが、その4冊は第10、11,12,14歌集であり、固まって詠まれている。庭における植物の変遷も影響しているのかも知れない。調べてみると面白いだろう。

 

 編集後記で外塚喬が「方代研究」「牧水研究」「佐佐木信綱研究」などによって歌人研究が行われている現状に触れた上で、次のように書いている。

 

 「亡くなった歌人を研究するのは、教えを受けた者の務めでもあると私は思っている。幸いなことに、木俣修先生を慕う人たちの支えによって研究誌を出すことができる。なによりも大切なのは、継続していくことではないだろうか」

 

 研究対象を慕い過ぎるあまりに、崇拝してしまっては客観的な研究は出来なくなるが、慕うという気持ちがなければ継続してゆくエネルギーは生まれないだろう。研究対象との距離の置き方が難しいと思う。

 

 

1月某日

「牧水研究」第15号

 

「木俣修研究」は、薫陶を受けた人々が、師の言動を次の世代に書き残している段階にあると思う。もう一歩踏み込んでの研究は次の世代の課題という気がする。その資料とするためにも、木俣に直接接した弟子が、研究誌を出す意義は大きい。文字にしておかなければ、消えてしまう。

「牧水研究」は牧水の著作や、牧水について書き残されたものを基に、新しい牧水像を発見することを目的としているようだ。「木俣修研究」よりも一世代先を行っている。牧水を論じたものは多いが、なおも新しい切り口が見つかることは、牧水についての資料がたくさん残されているからだし、加えて、牧水を語り継ごうとする熱い情熱があるからだ。

今回読んだのは15号、特集は「知られざる牧水」。

興梠慶一の編集後記によれば、当初は牧水が関わった雑誌を特集する予定であったが、編集会議で「話題を雑誌に限定せずに、もう少し広いテーマで捉えたほうがいいかもしれない」という結論が出て、特集の内容が変更になった。限定せずに広いテーマ・・・15号続いても今なお毎回新鮮な雑誌を送り出せる理由は、ここにあるのかも知れない。

たとえば、吉川宏志が「牧水と遊郭―女性への視線について―」を書いているが、話題が雑誌に限定されていたとしたら、書かれることがなかった文章である。広いテーマが与えられたからこそ吉川は書けたのだろう。

遊郭に働く女性たちを詠んだ牧水の作品をテキストに、当時の風習や認識を解説しながら、牧水が女性をどのように見ていたのかを読み説いてゆく。スリリングで、わかりやすい評論だった。文中、吉川はこのように書いている。

 

「牧水が遊女のもとに通ったのは、小枝子との恋が破れたあとの寂しさを埋めるためであっただろうが、それとともに、当時の文学の状況の中で破滅的な自己劇化を試みたという側面もあったように思われるのである。」

 

もとのテーマ「雑誌」に沿った評論では、伊藤一彦の「牧水という人品―「創作」の「若山牧水追悼号」に見る」が興味深かった。追悼号に掲載された「追悼録」には166名が寄稿しているという。岡本かの子、中西悟堂、高村光太郎、萩原朔太郎など錚々たる顔ぶれ。牧水の交友関係の広さがわかる。

伊藤は、追悼録の中から、「知られざる牧水」を掘り出している。意外なエピソードが次々に出て来るので、たのしい。中でも、一番うれしかったのは、生涯の友・平賀春郊が書いている牧水のこの一言である。

「これでまア僕も楽に死ねさうだ。」

どういうことかというと・・・上野公園で偶然、小枝子を見かけたのである。あとは伊藤の文章を引用しよう。

 

「人妻であることを知っても、なお小枝子と結ばれようとしたが、彼女は牧水といわば三角関係になっていた従弟と結婚した。牧水が彼女を怨み、憎んだとしても当然である。ところが、牧水は自分のもとを去ったあと彼女が幸福そうな姿をたまたま見かけて大いに喜び安堵したという文章である。

 それだけずっと彼女の身の上を案じていたのである。彼女と別れたあとも、彼女は心のなかの恋人だった。小枝子に似た女性に会うと、尋常ならず胸がときめいたことを牧水みずからが歌っている。」

 

 「これでまア僕も楽に死ねさうだ。」なんて優しい言葉なのだろう。小枝子と別れたあと、遊郭に通っても破滅に至らなかったのは、小枝子への未練と、どこかに罪の意識があったからかも知れない。「当時の文学の状況の中で破滅的な自己劇化を試みた」との吉川の見解を裏付けるエピソードである。

 

 

1月某日

「つばさ」第12号

 

 喜多昭夫が編集発行人。

 毎回、ユニークな特集が楽しい。

 年に1回発行の雑誌。時間をかけて丁寧に作っているのが伝わってくる。

 今回の特集は「ガールズ・ポエトリーの現在」「黒崎恵未の世界」の二本立て。

 「ガールズ・ポエトリーの現在」に登場するのは俳人4人、歌人4人、詩人2人。いずれも女性で、1972年から1991年に生まれている。中心は1984,5年といったところ。

 歌人は小島なお、野口あや子、平岡ゆい、平岡直子。それぞれ12首作品を出している。面白いのは相互の批評があること。たとえば、小島は野口の作品を批評し、野口は小島の作品を批評する。

 さらに面白いのは、その批評が誉め合うのではなく、ダメだしもある真剣勝負だからだ。

 

   青年の炎よ如何に燃ゆるともその炎ピアノにうつることなし  小島なお

   若き指持ちてするどく打鍵せり青年は苦き快楽の途中

 

 この2首について、野口は次のように書く。

 

「この二首は失敗していると思う。「炎よ如何に燃ゆるとも」といった芝居がかった表現は稚拙に見えるし、「炎」の繰り返しも功を奏していない。二首目は「若き」「苦き」と「き」が二回続くのは間延びして見える。「苦き快楽の途中」は読者に負担がかかる表現・字余りで、結句の落とし所がわからなかった。」

 

 逆に小島は野口の12首について次のように言う。

 

「現実と虚構の世界が絶えず入れ替わり、観客であるわたしたちは、マジックのように騙されているのかと

錯覚するような一連であった。野口あや子の作風の魅力は、鋭く切実な身体意識だと思う。今回、二首目の

ような独特の感覚の秀歌がある一方で、解釈が難しいものが多数あった。どの歌にも力強いエネルギーを感じ

たので、その難解さがすこし勿体ないような気がした。」

 

小島が秀歌と言っている二首目とは。

 

  拍手するたびてのひらははばたきに似てきてはばたくための拍手を

 

私は、それほど秀歌だとは思わない。はばたきと拍手の取り合わせは既視感があるし、「似てきて」が説明調で散文的すぎるし、はばたき、はばたくのリフレインが鬱陶しい。

一方、野口が失敗と言っている二首も、私には失敗に思えない(成功とまでは言えないが)。決して「読者に負担がかかる表現」ではないし、快楽も「けらく」と読めば字余りにならない。

ところで「読者に負担がかかる表現」とは何だろう? そもそも短歌を読むことは、負担を負う行為なのではないだろうか? 負担なくして短歌の「読み」は有り得ない。作者と読者は、負担してもらい、負担を引き受ける関係にあるのではないだろうか?

 

 もう一つの特集は「黒崎恵未の世界」。200首からなる誌上歌集「ネクストサークル」と穂村弘・杉森多佳子による黒崎恵未論がセットになっている。

 

  リンスインシャンプー結局人生を自分の為に生きてないこと

  隅々に冬ゆきわたる引越しの最後の部屋で白湯を分けあう

  一粒の雨の中にも七色の工場がある 虹が、あふれる

  数学を知っている木々 数学を知らない我がその森をゆく

  足の指全部ひらいてこの夏を想い出にする真水をかける

  ピクニック日和の日にも忍者らは厳しい生をいきているらむ

 

 あらかじめリンスとシャンプーの比率が決められていて、利用者に選択の余地がない。今日はリンスをしたくないと思っても、叶わぬ願望だ。髪が傷んでいるのでリンスを多く望んでも、無駄だ。黒崎はリンスインシャンプーから、自分らしく生きていないことに思いを馳せる。

 リンスインシャンプーを持ち出した意味を、「結局」以下が説明してくれているので、読者の負担はものすごく軽い。もうちょっと負担させて欲しい。言い換えれば、底が見えすぎているのでは、ないだろうか? 「結局」以下を、こんなに表立って、明らかに主張しなくても、良かったのではないだろうか? 髪を洗っている場面など、情景を描写しても、いいのではないか。主張しなくても、読者は言いたいことを、わかってくれるはず。読者をもっと信頼したほうが、いい。思い切って、どんと負担をかけてみると、いい。

 2首目からは好きな歌を並べてみた。簡単にわかりそうで、謎があり、実は簡単でない。言葉の奥に物語が潜んでいる。もちろん、作者の言いたいことは隠されている。

 

 

1月某日

「歌壇」2月号

 

第25回歌壇賞が発表されている。受賞作は佐伯紺の「あしたのこと」。佐伯は平成4年生まれで、早稲田大学人間科学部の3年生。平成生まれが初めて新人賞を受賞したときは話題になったが、もう驚かない。早稲田短歌に所属している。学生短歌の受賞者もごく普通のことになった。

 

いくつもの家出をそっと諦めて大きなかばんとともに暮らした  佐伯紺

遠くまで行ける光だ気まぐれにお札を入れてみた券売機

引用をつなぎあわせてとびきりの乱丁本になりたいのです

寝た者から順に明日を配るから各自わくわくしておくように

できることをしようと思う真夜中にキリトリセンをのみこむ鋏

 

 そして、口語であることにも、なんの違和感も持たなくなった。「た」「だ」「です」「ます」とキッパリ言い切る歌が多い。選考委員の内藤明は

「口語で展開していますが、やさしい柔らかな口語と、強いリズム感のある口語という分け方で言いますと、この人の場合は、柔らかさではなくて独特の強いリズム感、この人の強さがあると思いました。」と言い、

東直子は

「口語を用いる中で繊細に何かをすくい取ってくるというよりは、口語の勢いを使って自分の思いや考えをつかみ取ってこようというタイプの人だと思います。」と発言する。

 文語・口語の問題から一歩進んで、口語の中でも細分化が起きているようだ。

 自分の存在を疑い、別な生き方を求めるというのは、短歌のテーマとして、とてもオーソドックスだ。でも、佐伯の場合、切実さは薄い。「そっと諦め」た上で、かばんと同居できる程度だ。かばんを見るのも嫌で、捨ててしまう行動にはでない。計画的でない「気まぐれ」の逃避、自己主張せずに「引用」で済ます乱丁。その分、家出や乱丁がたとえ失敗に終わったとしても傷つき方は小さくて済む。だから、読んでも、息苦しさや、ひりひりする痛みのようなものを感じない。読者として、気が楽であるとともに、物足りなくもある。

 

  死ぬまでは生きるのだから 朝焼けがうつくしいのは曇りのきざし  佐伯紺

  炭酸は目を覚ます棘 味方とは敵となりうる人のことです

  惜しまれるうちに死にたい真昼間にねむれないまま目を閉じている

 

 これらの歌に見られる「死ぬまでは生きるのだから」「味方とは敵となりうる人」「惜しまれるうちに死にたい」などといった観念的な表現に既視感があり、借りて来たような老成はしないほうが良いと思った。

 

次点は、ユキノ進の「飛べない男」。ユキノは昭和42年生まれ。

 

葉の裏の暗いところにみっしりと蝶を眠らせ樹は覚めている  ユキノ進

水鳥が嘴をみずに挿す刹那しずかに終わる一生がある  

会議室の窓から見えるひつじ雲かぞえても数えなくても眠い

雑居ビルの上を横切る旅客機が脱毛サロンの広告に消える

 

 この4首は、いい歌だと思うが、出来不出来の差が大きすぎた気がする。1首目2首目のような独自の感性で詠まれた自然詠は優れている。3首目は仕事の場面をユーモラスに描いて共感できるし、4首目の「旅客機」と「脱毛サロン」の取り合わせが絶妙。仕事を終えた客室アテンダントがサロンに通っているかのような錯覚に陥ってしまった。

 以下、候補作品の中から、魅かれた歌を。

 

  うつくしき筆跡ばかり刻まれて墓誌のなまへに影は宿りぬ     飯田彩乃

  モノトーンの鍵盤深く押してゆく ゆつくりひらく少年の咽    榎本麻央

  感情をうすめたような夕暮れに祖母はしきりに花びらを掃く    大平千賀

  メトロノーム動かしたまままどろめば蹴鞠を競う昔がきこえる   大竹明日香

  〈9〉という獣のかたちにぎりしめ昼のさかりの銀行にいる    小谷奈央

  熟れてゆく桃の香のするキッチンに昨日と同じ時間をさがす    鈴木陽美

  鳥の飲む朝の水ほどにぬれているウエットティッシュでぬぐう指先 鍋島恵子

  黒々と揺れゐる水の尖端が海を離れて波となりたり        滝本賢太郎

 

  

1月某日

黒田杏子の『銀河山河』

 

 歌集を読むのに疲れたとき、短歌の長さに耐えられなくなる。俳句の短さが嬉しい。俳句を読むのは、とても難しいことだと思う。でも、わたしは歌人だから、むずかしいことを考えずに、気楽に読んでいる。だから、楽しい。俳句の場合、ほとんど一目惚れだ。一読して好きな句が決まる。短歌は一目惚れとは限らない。最初はそれほどいい良いと思わなくても、読んでいるうちに気に入ることがあったりもする。

ずいぶん沢山の一目惚れをした句集の中から、何句か紹介しよう。

 

  こぞりきて老鶯こゑを讃へあふ

  ぎんなんもぬかごも揚がる串細く

  落鮎と松茸土鍋飯噴いて

  定刻に吟行稽古始かな

  いつせいに春の星座となりにけり

 

 1句目が短歌であったとしたら、読者の大半が鶯を人間の比喩と読むのではないだろうか。相当に嫌みな読み方になるが、誰かの歌集出版記念会をイメージするとわかり易いだろう。招待所をもらった人が「こぞりきて」

「老鶯のこゑ」を「讃えあふ」のである。ああ、ありそうなシーンだ。だが、これは俳句である。そういう読み方は、したくない。素直に、鶯同士の讃えあいと読みたい。そのほうが、ずっと楽しい。ごくたまにだが句集を読むとき、歌人はなんて複雑な読み方をするのだろうと思ってしまう。

 2句目、短歌だと、ここに間違いなく酒が出てくる。一人か、それとも相手がいるのかも言いたくなる。だが俳句は言わない。酒があるに決まっている、相手がいないわけがない。わかりきったことは言わない潔さが俳句にはある(短いから言えないのさと自己弁護するのはのは歌人の悪い癖だろう)。

 3句目は、省略の妙を愉しみたい。究極の省略。これ以上ことばを切り詰められないというところまで切り詰めてある。落鮎があって、松茸があって、土鍋でご飯が炊けている。秋の旅の醍醐味を描いた。

 4句目は季語の力、季語のありがたみである。「吟行稽古」とわたしは最初読んでしまったが、「吟行 稽古始」と切って読まなくてはいけない。「稽古始」は新年の季語。定刻に吟行が始まった。場所は町中のようだ。手帖を片手に歩いていると、柔道だろうか、剣道だろうか、勇ましい声が何処からか聞こえてくる。あるいは琴や三味線の音かもしれない。

 5句目には、「心の花」主宰佐佐木由幾先生長逝 九十六歳  と詞書が付く。

 

冬と春の句を挙げておく。

 

  白鳥のこゑの真下とおもひけり

  小春この障子の内の果報者

  雪蹴って丹頂の舞ふ旭かな

  雪大根卸して炊いてなほ甘し

  初雪の便り佐渡より津軽より

 

  みちのくの花待つ銀河山河かな

  案内してくださる雪の花の木に

  百年ののち千年の山櫻

  花の夜はロールキャベツをあたためて

  花巡る年重ねきて花を待つ

 

 

1月某日

 浅井まかての『恋歌』

 「れんか」と読む。第150回直木賞受賞作。歌塾「萩の舎」を主宰した中島歌子を描く。

 

 中島歌子について、私はどれほどのことを知っているのだろう。旧派の歌人、歌塾「萩の舎」を主宰した、大勢の弟子を集めた、樋口一葉の歌の先生。知識は、こんなもんだ。もっと知ろうと思って、短歌の事典を開いてみると、『岩波現代短歌辞典』と『三省堂名歌名句辞典』に項目はない。かろうじて三省堂の『現代短歌大事典』に10行の記述がある。現在の歌壇における中島歌子の評価は、こんな程度だ。

 『現代短歌大事典』の「中島歌子」の項を転記させてもらう。執筆は上田博である。

 

  中島歌子〈なかじま・うたこ〉1844・12・14~1903・1・30

   江戸日本橋生まれ。夫は水戸藩士。維新後、村田春海門下の加藤千浪について和歌を学んだ。上流婦人に歌文を指南する萩の舎を経営し、門下生には三宅花圃、樋口一葉らがいた。家集に、『萩のしつく』(29・11萩之舎同窓会)がある。代表歌〈手折りともやがてしをるゝはななれとたゝに過うき野路のはきはら〉(『萩のしつく』) [上田 博]

 

歌集ではなく家集の時代の人(出版されたのは昭和になってからだが)。意外なことに、夫がいた(生涯独身かと思っていた・・・)。しかも水戸藩士。それも幕末の。尊王攘夷で荒れに荒れた時代の水戸の武家の奥方だったとは。

 

 さて、浅井まかての『恋歌』だが、歌子が加藤千浪について和歌を学ぶ以前のことが中心となるので、萩の舎の中島歌子の物語というよりも、一人の女性が目撃し体験した幕末の動乱を描いた時代歴史小説だと思っていたほうが良いだろう。

 水戸藩の上屋敷近くにある宿屋「池田屋」の跡取り娘であった歌子は、18の年に恋をする。相手は一夜宿泊した水戸藩士の林以徳(もちのり、と読む)。豪傑が多い藩士の中にあって、ただ一人物静かで美しかった。ふたたび林様にお会いしたいの一心で、崇徳院の上の句「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」を短冊に書き続けた(この歌、失せ物、待ち人に出会えるようにと願掛けに使われていた)。

 思いは叶い、再会。そして、水戸に嫁いだのだが・・・藩内は混乱の真っ最中。天狗党と諸生党が血で血を洗う抗争を繰り返していた。世にいう天狗党の乱(または筑波山事件)が起き、夫は戦場へ。戦局が夫の属する天狗党が不利になるや、歌子は捕えられ牢獄に入れられる・・・一緒に捕えられた者が獄死したり、処刑されてゆくなか、歌子を支えたのは「生きてさえいれば、夫に会える」という思いであった。秋に捕えられ、冬を越し、翌年の春も終わる頃。突然解き放たれた。歌子は江戸へ出た。

 歌人である私の興味は、この後にもあるのだが、とんとん拍子で事が運んで、あっという間に1000人の門下生を抱える和歌の師匠になってしまう。作家の描きたかったのは、幕末の動乱だったのだから仕方のないことと諦める。

 江戸に出て数年後、歌子は夫の死を知ることになる。砲弾で受けた傷がもとの獄死であったが、首をはねられ、獄門台に晒された。夫に会いたい一心で生きてきた歌子のその後は、どんなに有名になろうと、どれだけ財を成そうと、むなしいだけの日々であったのだろう。歌子が歌人として成り上がってゆく過程を描けば、それなりに面白い話は書けると思うが、実際のところ歌子はもう脱け殻同然であって、作家の興味をそそる存在ではなかったのだと思う。

 歌子は61歳で、肺炎で死んだ。葬儀は萩の舎からほど近い牛天神北野神社で行われた。境内は弔問の人で埋め尽くされ、安藤坂にも列をなした。

 浅井は葬儀の最中、門下生が交す言葉を書きとめている(もちろん創作だが、実際にあったと思わせる内容だ)。

この場面を描けた作家の取材が生んだ想像力に乾杯したい思いだ。

 

「あら、宅の娘、もう縁談があってよ。お相手が英国から帰られたら、お見合いの運びなの」

「じゃあ、お嬢ちゃまは将来の総理大臣夫人ね」

「さあ、どうかしら。生まれは宅と同じ、長州だけれども。……それより、ねえ、今度の明星、ご覧になって?」

「もちろんよ。与謝野さん、ますます腕を磨かれたわね」

「ほんと、あれぞ浪漫派の歌だわ」

 

 旧派の師・中島歌子の葬儀に参列しながらも、気持は流行の与謝野晶子に移っている。

 読み終えて、苦手だった中島歌子が少しだけ好きになった。