本屋へ入ったからには、

今月の9冊

 

大崎瀬都『メロンパン』

森屋めぐみ『猫の耳』

佐藤通雅・東直子選『また巡り来る花の季節は 震災を詠む』

山折哲雄・伊藤比呂美『先生! どうやって死んだらいいですか?』

佐佐木幸綱『100分de名著 万葉集 はじめに和歌があった』

重金敦之『ほろ酔い文学事典 作家が描いた酒の情景』

郷隼人『LONESOME隼人 獄中からの手紙』

渡辺久子『三丁目ハイツの春』

小島ゆかり『泥と青葉』

 

 

3月某日

大崎瀬都『メロンパン』

 

「ヤママユ」に所属する作者の第3歌集。あとがきに「生きる意味を問う、というと大袈裟になりますが、自分でもわからない無意識の自分を知りたい、見慣れた風景のくすんだ膜を剥がし新鮮な光や翳を見たい、などの思いがあって短歌を作っています」と書かれている。その思いがストレートに出ていないところが、この歌集の良さだと思う。力みのない、肩の力を抜いた歌。それでいて言葉に力があるので、歌が自力で立ち上がる。

 

味噌汁をひつくり返し一日中変なにほひにつきまとはれぬ

顔あげてヒロインは泣き顔伏せて脇役は泣くある日のドラマ

真ん中にプラス螺子ある受話器より息子の声は屈託のなし

後ろへとすべりゆくとき急速に村主章枝の顔遠ざかる

 

1首目と2首目が「無意識の自分を知りたい」と思った歌、3首目と4首目が「新選な光や翳を見たい」と思った歌ではないだろうか。1首目、味噌汁の匂いそのものも確かに拭いても窓を開けても消えにくい。だが、ここでの「変なにほひ」は嗅覚で感じる匂いではなく、ひっくりかえすに至った理由、たとえば注意散漫になったとか、握力が弱って来たなどの心配事を言っているようだ。「つきまとはれぬ」が振り払おうとしても消えてくれぬ心の内を言い表している。「一日中」という3句の置き方が、なんでもないように見えるが、うまく機能している。ひっくり返したのが朝であること、うっとうしい気分が夜まで続いたことを端的に言っている。

味噌汁をひっくり返す、生活の中で誰もが体験する小さな出来事を一日中こだわり続ける自分という人間を、作者は好きでないのだろう。でも、好きではないと言っても、自分である以上、放ってはおけない。作者は短歌に表現することで、好きでない自分と向かい合った。

3首目、相手の声を受ける部分と自分の声を送り出す部分の中間地点にプラスの螺子がある、二人をつなぐ受話器にマイナス螺子でなくプラス螺子があることが理に適っている。そして屈託のない息子は常にプラス思考、プラス螺子とうまく噛みあっている・・・・と、ここまで深読みしないほうが絶対に良い。この歌は1首目のように心理面はまったく無視して、一種の発見の歌として、受話器にプラス螺子がある点だけを読んでおきたい。「新鮮な光と翳」を作者が見た瞬間の歌だからだ。息子うんぬんは脇に置いておいても問題ないような気がする。

 

オリンピックもパラリンピックも終りけりわれにも四年後の抱負あり

屋根つきのプールがあつて六十歳まで水着にならねばならない仕事

*六十歳に「ろくじふ」のルビ

端正な顔立ちをして教室をお教室と言ふ同僚のをり

海原より吹きくる風を待ちながら数週間うた作らずともよし

 

このようなユーモアのある歌も歌集の特徴だ。「この次はメダル目指して」とまでは言わないけれど、作者は現役を続行し、目標に向かって頑張ることを、ここに宣言している。

教職にあるらしい。教職を「六十歳まで水着にならねばならない仕事」と肉体で表現する人がいただろうか。しかも水着を導きだす言葉が「屋根つきのプールがあつて」となんともトボケていて、「屋根がなかったら水着にならんのか?」と思わずツッコミたくなる。ユーモアのツボを知っている人だ。

3首目は「端正な顔立ち」とまで言ってしまうと毒が出てしまい、やり過ぎのような気がする。下句にも皮肉が相当含まれているので、上句はやわらかく表現しておいた方が、ユーモアが引き立つ。4首目、まじめな歌人から怒られてしまいそうな内容だが、この気分、とてもよくわかる。原稿を送り出したあとの解放感。「作らずともよし」と思う背景には、身も細るような思いで真剣に歌と取り組んだ数日間があったからだ。

最後に、家族や仕事を詠んだ作品などをあげておく(いずれも数詞を使っているところに注目)。歌集を読み終え て、作者の四年後の抱負とは次の歌集、第4歌集であって欲しいと思った。

疲れきりたうとう夢を棄つる子よ芸名ふたつをわれは忘れず

一センチ四十万円のステントを五本埋めたる夫の心臓

一本の煙草が今日の喜びを完成させるホテルの部屋に

一人一人生徒の名前を書いてゆく卒業式の日の日記帳

 

 

3月某日

森屋めぐみ『猫の耳』

 

「心の花」に所属する作者の第1歌集。タイトルからもわかるように作者は猫好き。

「三匹の猫」と何回も詠んでいるので、筋金入りの猫好きだ。だが猫を詠んだ歌は思ったよりも少なく、仕事、恋愛、趣味の世界、街、食、そして自分を含む家族など素材は多岐にわたっている。

佐佐木幸綱が跋で「季節とかかわりのある歌が多い」と指摘しているが、季節が詠まれているのは、素材が多岐にわたることと無関係ではないだろう。趣味の歌舞伎や落語は季節に敏感だし、街も季節に満ちている(自然の季節以外にも街には作られた季節がある)。

 

部屋の隅に離れて眠る猫の耳ときどき我を確かめている

三匹の中で一番寒がりのしーちゃんが膝に乗りたがる秋

熱のある病人が好き 三匹の猫は一日吾で暖を取る

シングルのベッドに一人と三匹がジグソーパズルのように眠れり

 

猫の歌から4首。タイトルの由来となった1首目が断然いい。猫が我を確かめていると同時に、我も猫を確かめている。「離れて眠る」と言っているので、作者も寝ているのだろう。薄暗い中、猫の耳と作者の目だけが起きているような静寂な世界が描かれている。2首目以下は猫との熱い関係。微笑ましい場面だ。だが、微笑ましいだけでなく、作者と猫の寂しさ、命あるものの寂しさを読み取ることができる。見ているだけでは感じることのできない、命と命の触れ合いの中から出て来た感情を、直接訴えることはせず、場面を描くことで表現した。

 

奇術師の祖父の背広の内側に隠しポケット五つ残れり

左手で右手の包帯を巻くような不器用にしか話せぬ父娘

*「父娘」の「おやこ」のルビ

遺品整理遅々と進まず大量の母も知らざる落語のテープ

迷信を信じていたとは思えない茗荷を除ける黒い箸先

 

命を描くと言えば家族を詠んだ歌にも秀作が多い。〈古書店より「奇術研究」創刊号届きて祖父の名の顕ち上がる〉という歌もあるように、作者は祖父の生き方に興味を持ち、調べたりしているようだ。1首目の「隠しポケット」には、祖父の謎の一面という意味も込められているのだろう。多くの謎を残したまま死んでいった祖父。初句の「奇術師の」はいきなり種明かしをしてしまったようで気になったが、おもしろい歌だと思う。

父への思いも曲折を伴って描かれている。落語が好きな作者が、父も落語を好きだったということを遺品整理をして初めて知った。その時の驚きを感情を排して詠んだ3首目。4首目は父と食事したときの思い出だろう。父が茗荷を除けたことを鮮明に覚えている。茗荷を食べ過ぎると物忘れしやすくなると言われていて、作者もそのときは迷信のせいだと思っていたのだが、いま考えると、実は父は茗荷が嫌いだったのではないかと思う。知っているようで、まったく知らなかった父の実像。父も祖父のように隠しポケットをいくつも残していった。

最後に、仕事の歌、趣味の歌、街の歌をあげておく。珍しい素材が確かな表現力によって、伸び伸びと歌われいる。

 

テレ東の社員食堂A定食ギリギリガールズも並んで食べる

髪切りて記者席に行く週始めマイナス十五センチのどよめき

「あーれー」と舞台の上を逃げ惑う女 本当に「あーれー」と言う

志の輔の「馬鹿野郎ッ」には色気あり淋しい日暮れは叱って欲しい

線路にはペンペン草も濡れていて都電荒川線ののどけさ

落日の早くなりたり焼き栗の谷中銀座にほくりと甘し

 

3月某日

佐藤通雅・東直子選『また巡り来る花の季節は 震災を詠む』

 

「時を経ても消えない想い いま、あらためて あの日のことを歌に NHKの番組『震災を詠む2013』に寄せられた東日本大震災にまつわる歌の数々 三十一文字に刻まれた、忘れてはならない永遠の記憶」

帯がこのように本書を紹介している。

掲載されている作品は、2013年2月11日に開催された第2回「震災を詠む」の応募作を佐藤と東が選をしたもの。429人から1007首の応募があった。震災発生から2年が経過しようとする時期に作られた作品について、佐藤が特徴をあげている。

「直後の生々しさからは距離をとりはじめているものの、大きな喪失感が心に広がっていること」

「あの日にこうすればよかった、なぜできなかったのかという悔いをくり返して問うていること」

「『がんばれ』『絆』が高唱されながら、いよいよ見捨てられていくだけだという棄民感情を抱えていること(この点は特に福島の方々に多い)」

「後だけ振り向かず、前向きに生きていきたいと表明する人も増えてきていること」

「これまでことばにすらできなかった若い世代が、やっと表現を可能にしはじめたこと」

 

若い世代が表現を可能にしたことを、「特記しておきたい」と佐藤は強調している。

若い世代とは高校生のことで(震災当時は中学生だった生徒もいる)、2年を経て、震災当時のことをことを振り返り、表現できるようになった。

体験を、特に辛く悲しい体験を言葉にするまでに長い時間がかかることがある。忘れたいという思いが、言葉に残しておきたいという願望に変化したのだ。

亡くなった人に代わって証言しておかねばならないという義務感もあるだろうし、言葉にすることで胸のつかえがおりるということもあるのだろう。そして何よりも自分が生きていることの確認と感謝が、表現したいという願望になったのだと思う。

 

触れること許されぬままお別れを祖母に届かぬ右手が寂しい    日野はるか

また地震すぐに出てゆく我が父は月明かりすらない道を行く    川村くるみ

ことばなどさして大事でないらしい抱きしめあえる腕さえあれば  西村七海

「死にたくない」助けをこう声聞きながら私も同じと背を向け走る 猪股春菜

雪が降る十四歳の私にもすべてを白に戻してほしい        荒館香純

 

人々は避難したのか音ひとつ聞こえぬ闇に病む妻と残れり     三田地信一

避難所をあちこち尋ね三日めに九十三の叔母探し出す       中津川シゲ子

踏切に至れば止まりて左右みる来るはずもない汽車と知りつつ   尾形サタ子

山椒の線量高きを知らざらん野鳩寄り来て赤き実を食う      黒澤聖子

仮設から黒枠などで出たくない九十九才が今日もふんばる     佐藤武子

 

前の5首が高校生、後の5首が一般の作品。

 

私は埼玉県に住んでいて、東日本大震災の発生時は自宅にいたので、大きな揺れを感じたのと、本棚の本が散乱したのと、被害と言えるものはなかった。だが、一緒に住んでいた父の認知症が、その日を境に急速に悪化した。何かに怯え、突然叫び声をあげるようになった。一度叫び始めると、疲れ果てるまで叫び続けた。

店頭から品物が消えて行った。米を買うために2時間並んだ。トイレットペーパーも水も乾電池も同じようにして手に入れた。父の紙おむつが無くなるのを畏れ、何軒も回った。やがて、計画停電が始まり、寒くて真っ暗な2時間、父は叫び続けた。(オール電化にしていたのが災いした。石油ストーブは捨てずにあったが、石油が買えなかった。

震災から9か月後、父は死んだ。震災が起きなかったら、もう少し生きられたと思う。父を被災者と呼んでいいのだろうか?

私は震災の歌を数首作っただけだ。だが、その数首にどれだけの思いを込められただろう。何も言っていないような気がする。まだまだ言えてないことが沢山あるように思う。

私はいつか言えずにいることを歌にするのだろうか?

この本に掲載された歌のすべてに私は敬意を表する。と同時に、まだまだ歌えていないことがあるのだろうと、それぞれの作者の胸の内を思うだけで、切なくなる。

 

3月某日

山折哲雄・伊藤比呂美『先生! どうやって死んだらいいですか?』

宗教学者と詩人による対談。アメリカ在住の伊藤は熊本に住む両親を遠距離介護した9年の間に母が死に、父が死に、周囲の人を多く亡くした。死の意味を山折に問い質す形式で対談は進んで行く。1冊は4章に分かれている。「性をこころえる」「老によりそう」「病とむきあう」「死のむこうに」、性老病死。生ではなくて性であるところが本書の特色である。だが実際に読んでみると、性の部分はよくわからず、老・病・死の章に多く衝撃を受けた(性に興味がないということではない。生を性に置き換えた意味が今一つ理解できなかっただけ)。

 

短歌が何度か話題になっている。日本人の生(性)老病死について語ろうとすれば、当然のごとくに短歌が出てくる。切腹に際して武士が詠んだ辞世、『きけ わだつみのこえ』に収められている戦没学生が遺した短歌、二人の話は日本人と短歌の深い関係に触れ、そして短歌の救済力にも及ぶ。俳句も韻律をもった短詩だが、なぜ俳句ではなくて短歌なのか、山折は次のように話す。

「おなじ五七調でも、俳句は五七五で終わって抒情的要素が排除されている。ですからどちらかというと叙事的な世界なんですね。その点、死を前にしたとき、この世からあの世への識閾(しきいき)を越えるために、和歌のリズムは重要な役割を果たしていると考えられます。もちろんそこには、和歌のもつ千年の伝統も加わっているでしょうけど。」

これを受けて伊藤が言う。

「詩も短歌も俳句もおやりになる高橋睦郎さんに、短歌と俳句の違いはなんですかって聞きましたらね、「別れてやる!」っていうのが俳句で、「別れてやる!。……でも別れられない」っていうのが短歌なんですよって(笑)。短歌は、さらにもうひと返し、感情が続くわけですね。だから死に際には、その続きの部分を表現したかったのかもしれないな」。

 

「でも別れられない」と言ってはいけないと知りつつ言わずにはいられない気持ち、よくわかる。だから私は短歌をやっているのだろう。でも、どうして別れてやると言ったのか、それなのに何故別れられないのか、そこまでの説明を短歌でしてしまってはいけないし、三十一音の短さでは説明しようとしても出来ない。

以前に読んだ坪内稔典の『俳句的人間 短歌的人間』では、長嶋茂雄を俳句型人間、野村克也を短歌型人間と説明していて、おおいに納得したのだが、この「でも別れられない」の話も頷くことのできる例え話だ。ちなみに坪内は短歌型人間の性質を主観的、情熱的、自己陶酔的、真面目、勉強好き、自己主張的と言っているが、いずれも私自身に当てはまる。

 

話を山折と伊藤の対談に戻そう。対談の中で、現代詩を書く伊藤の五七調の韻律への複雑な思いが印象に残った。

八〇年代、俵万智の『サラダ記念日』が出て、大ベストセラーになった。山折は「日本の大衆はあのリズムを喉から手が出るほど欲していたことだね」と言う(『サラダ記念日』がブームになったのはリズムの問題だけではなく、新しい素材を短歌形式に収めたこと、口語を使うことで誰もが簡単に短歌を詠めるようになったこと、そして俵万智のキャラクターによることが大きいと思うが、ここでは山折の発言を素直に受け止めて、話を先に進める)。

山折の言葉を受けて、伊藤が言う。「私、当事者として思いは複雑でしてね。(中略)現代詩の世界で産湯を使い、ずっとそこで生きていた私としては、五七調というものは、やっぱりたたっ切ってしまわなきゃならないものだったと思う。あれがある限り先に進めないという思いがあって」。

しかし伊藤も五七調を頭から否定しているわけではなく、文章を書く際には五音、七音の使い分けをしていると言う。「ここは七音で攻めるべきとか、ここは五で終わらせようとか考えながら。きっと、文章に気付け薬を与えるみたいな使い方をしているんですね」。現代詩の詩人であるためには否定しなければならなかった五七調、だが日本語で表現するためには捨てきれなかった五七調。詩人の葛藤をうかがわせる伊藤の言葉だ。

 

 

3月某日

佐佐木幸綱『100分de名著 万葉集 はじめに和歌があった』

 

NHKのEテレで毎週水曜日の夜11時から放送している「100分de名著」のテキスト。4月2日に1回目の放送がある。各回25分で、全部で4回あるから、合計100分ということになる。

万葉集の時代は130年。舒明天皇が即位した629年から天平宝字三年(759年)まで。主に本書は、時代の流れを追いながら、万葉集の歌がどのように変遷していったかが解説されている。

130年とはずいぶんな時間である。与謝野鉄幹の『東西南北』が出たのが1896年だから、そこから130年後とは2026年、12年も先の話だ。『東西南北』から今日まで短歌は大きく変わった。近代現代短歌と一括りできない。同じように万葉集の中でも歌が明らかに変化している。その変化を佐佐木は具体的に説明している。

現代では万葉集の時代を4つの区分するのが通説となっている。本書は4つの章に分かれていて、それぞれの時代を1章ずつ説明している。各章題を上げるだけでも、130年の流れがおおよそ理解できる。

1 第1期 言霊の宿る歌

2 第2期 プロフェッショナルの登場

3 第3期 個性の開花

4 第4期 独りを見つめる

 

第1期の代表歌人は額田王。

熟田津に船乗せむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな

言霊(言霊)と歌の関係を佐佐木は次のように説明する。

「この歌、事実をうたった歌ではありません。そうあってほしい現実をうたった歌です。あらまほしき状態を短歌で表現すると、短歌にこめられた〈言霊〉の力によって、現実を引き寄せることができる。短歌の呪力――神の意志と人間の言葉、自然と人事、言葉と事実、幻想と現実、本来なら相容れない両者が短歌形式のなかで融合し、増幅されて充実しきった力――によって、〈言〉が〈事〉を引き寄せるのです」。

 

第2期の代表歌人は柿本人麻呂。

「抜群の言葉と歌の才をもって宮廷に仕え、宮廷社会が必要とする歌や宮廷人が望む歌を創作したプロフェッショナルな歌人、すなわち『宮廷歌人』とも呼ぶべき人」と人麻呂を位置づけた上で、

 

ささなみの志賀の辛崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ

楽浪の志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたもあはめやも

 

を例に出して、「日本詩歌史上で最初に廃墟を、あるいは廃墟を通しての懐古の美学を、作品化した歌です。人麻呂は、芭蕉の『夏草や兵どもが夢の跡』や滝廉太郎の歌曲『荒城の月』(詩・土井晩翠)などに見られる無常をうたう歌、廃墟を感傷する日本人好みの美学、の発見者だったわけです。」と論じる。

 

人麻呂が最初に廃墟を詠んだ歌人であったように、第3期の大伴旅人は「亡妻挽歌というジャンルの、実質的な創始者」、第4期の大伴家持を「『文化の継承者』としての自覚を最初にもった人」そして「日本で最初の『文学者』」と佐佐木は言う。

万葉集の時代は今まで詠まれなかったものが詠まれるようになり、そのために新しい歌い方が生れた時代、つまり歌の可能性が広がった時代でもあった。東歌や防人歌を除けば、万葉の歌人たちは血縁、職場、宴席など何処かで接触があって、同時代ならばお互いに影響し合った。また、次の世代に教え、前の世代に学ぶことで、歌が連綿とつながっていた。人麻呂が、旅人が、家持が、偶然出て来たのではなく、必然の上に現われたと言ってよいだろう。

万葉の歌人をそれぞれ個別には知っていたし、歌も読んではいたが、歴史の流れの中で俯瞰すると、その歌人がなぜ存在し、その歌が何故詠まれたかが見えてくる。万葉集の中にも文学史の流れがある。木ではなく森を見ることの大切さを改めて教えられた。

 

 

3月某日

重金敦之『ほろ酔い文学事典 作家が描いた酒の情景』

 

『食の名文家たち』『作家の食と酒と』『食彩の文学事典』など、文学と食についての著書がある重金による酒と文学の薀蓄。下戸の私も十分に酔える一冊だ。ビール、ウイスキー、ワイン、スピリッツ、カクテルとリキュール、紹興酒と次々に酒と肴が繰り出されて、最後は日本酒。

「酒と日本人について文学的な考察を始めたら、『万葉集』の大伴旅人の「酒を讃むる十三首」やその対極にある山上憶良の「貧窮問答歌」にも触れなくてはいけない。とてもそこまでさかのぼる紙幅はないが、『徒然草』一七五段と二一五段を読むと、現代の飲酒文化の状況は十四世紀とはあまり変わらないようである。吉田兼好法師は、酒に愛着がある。よほどの好酒家だったのだろう。」と、日本酒の章が始まる。

ビールから日本酒まで、小説とエッセイが中心で、取り上げられている短歌はたった1首、俵万智の

 

「嫁さんになれよ」だなんて缶チューハイ二本で言ってしまっていいの

 

が出て来るだけ。残念。そこで私は空欄に思いつくままに、酒の出てくる短歌を書き込んだ。例えば、このような歌を。

 

初対面なのになんだかなつかしく田中綾と飲むサッポロビール

大口玲子『ひたかみ』

上つ毛の菊地豊栄よウイスキー送りくるより歌送りこよ

石田比呂志『孑孑』

「黒龍」の五勺の酒を呑みしかばほのぼのとして街をゆくかな

岡部桂一郎『竹叢』

秋風に二の腕寒くなる夕べ久保田を燗で呑まむとするか

柳宣宏『施無畏』

人肌の燗とはだれの人肌か こころに立たす一人あるべし

佐佐木幸綱『百年の船』

缶ビール一本買って乗る「のぞみ」曇りの今日はあってなき富士

久々湊盈子『風羅集』

週末の百合の花びら開き切りゆるゆると呑むオンザロックを

篠弘『至福の旅びと』

還暦の祝いの酒を買って来てひとりぽつんとかたむけており

山崎方代『こおろぎ』

大ジョッキの麦酒の泡に羽虫おちあきらめるまでしばらくもがく

小池光『山鳩集』

秋のよるもう寒いねと傳八で品書見をり おからがいいね

高野公彦『水苑』

*「品書」に「しながき」のルビ

酒や酒場が歌われている歌は総じて明るいから好きだ。高野の歌には、まだ酒が登場していないが、まずビールだろうか? それとも寒いのでいきなり熱燗だろうか?

重金が日本酒の項で引用している文章のうち、一番気に入ったものを紹介しよう。

〈しかし、蕎麦やへ入ったからには、一本の酒ものまずに出て来ることは、先ずないといってよい。

のまぬくらいなら、蕎麦やへは入らぬ〉

池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』

「のまぬくらいなら、蕎麦やへは入らぬ」、なんてカッコいいのだろう。言ってみたいではないか。しかし下戸の私には一生言えないことば。ああ酒が飲めないのは本当につまらないと深く落ち込む本でした。

 

3月某日

郷隼人『LONESOME隼人 獄中からの手紙』

 

朝日歌壇で知られている郷隼人。ライファー(終身服役囚)としてアメリカで収監されている。

「はじめに」で郷は書いている。

「冷酷に時が過ぎていく監獄の中で、生まれ故郷の浜を目指す海亀のように、いつかは鹿児島へ戻る日だけを頼りに僕は歯を喰いしばって生き続けている。罪を償い、生きて日本に帰り、父と母の墓に手を合わせるために。」

「三百六十五日英語でしゃべり、英語で考え、僕の中の日本はどんどん遠く小さくなっていく。だから、僕は日本人であり続けるために短歌を作り、日本語で本を書き、I am Japanese!と叫び続ける。」

 

囚人のひとり飛び降り自殺せし夜に〈Free as a Bied〉ビートルズは唱う

整然と並ぶ獄舎の裏窓にひとつひとつの人生がある

仔猫らがおなか空かして待っている身も残そうなチキンの骨に

日の丸を描きし手作り鉢巻きをきりりと締めて便所の掃除

*「便所」に「トイレ」のルビ

 

朝日歌壇にはじめて入選したのが1996年というから、もう18年になる。1首目が初入選歌。この歌が無記名で、たとえば歌会に出されたとしたら、どう読むだろうか?

上句を報道を通して知ったニュースとして読むのが普通だろう。と言うよりも、ショッキングな言葉使いで気を引くような歌、どこか嘘っぽく現実味の薄い歌として、よい評価をしないと思う。だが、今、郷隼人作として読めば、こんなにリアルな歌はない。作者名の有無、作者の境遇そして境遇を知っているかどうかが短歌の読みを大きく左右する。

郷はそのことをちゃんと心得ていて「もし万一、現カリフォルニア州知事のジェリー・ブラウンより釈放を認証され、国外追放、強制送還になった暁には、その一瞬のうちに郷隼人の短歌の価値も、読者の人々のサポートの感情も急速に衰退することでしょう」と書いている。確かに獄中にいるという素材の特殊性は釈放と同時に通用しなくなる。

郷にとって短歌は、自分と日本をつなぎ、自分の存在を知らしめるためのツールなのであろう、今のところは。釈放後、短歌を必要とするかどうかはわからないが、朝日歌壇に「鹿児島県 郷隼人」で歌が掲載されたとき、そこにまた別の価値が生れるだろう。元無期囚の歌としての価値が。

郷隼人の短歌を文芸作品として純粋に読むことは絶対に不可能だ。また郷隼人も境涯を抜きにして歌を作ることは出来ないだろうし、境涯抜きで詠んだところで不満足な歌しか出来ないだろう。

もし釈放されたとして、そのとき、郷隼人には、郷隼人として歌を作り続けるか、郷隼人の名前を棄てて歌を作り続けるか、短歌を棄てるか(同時に郷隼人の名前を棄てることにもなる)、3つの選択肢が用意されている。

この選択は、相聞歌を作り続けてきた歌人が恋を失った時、職業詠を作り続けてきた歌人が職を失ったとき、両親や配偶者の介護を歌い続けてきた歌人が両親や配偶者を失ったときの選択と大きな違いはないように思う。

加えて、どんな選択をしようとも、今まで詠んだ相聞歌、職業詠、介護の歌の価値が変わることはないだろう。

 

 

 

3月某日

渡辺久子『三丁目ハイツの春』

 

作者は「かりん」創刊以来の会員。第1歌集になる。タイトルがユニーク。東京都江東区に実在する建物のようだ。作者はここで生まれたのでもなく、ここを終の棲家とも考えていない。

 

転勤族住める団地をなつかしむ子のふるさとに知る人居らず

ふるさとに必ず帰らむ東京に連れ来て死なせし吾子眠るゆゑ

 

事情を知らないとわかりにくい歌かもしれない。茨城県に生まれた作者は、夫の転勤に伴い、小さかった二人の子供を連れて東京に転居した。転勤族が多く住んでいた団地で子育てをしたから、子にとっては団地がふるさとになる。団地は残っているが、今はもう知る人もいなくなっている。下の子をやがて病気で喪う。子の墓はふるさとにあり、いつかは帰りたいと思っている。東京に連れて来なかったら死なせずに済んだのではないかと、何十年たっても自分を責めている。

ほつとして分娩室を出でくれば「また女の子」姑は嘆きぬ

「本を読む女は怠け者なり」と言はれしことに永く囚はる

こつそりと短歌詠みゐる夜の更けに心やうやく鎮まりきたり

良き嫁で在らむと背伸びしてゐしかひとつも笑みのあらぬアルバム

 

『三丁目ハイツの春』、このタイトルから平和な日々の、おだやかな日常詠の並んだ歌集と思って読み始めたのだが、いい意味で裏切られた。姑との壮絶な日々を描いた連作がすごい。感情を抑えながら、言葉を慎重に選びながら詠んだのであろうが、抑えきれなかった姑への思いがほとばしっている。しかし根本的な部分で感情が制御出来ているので、暴露的ないやらしさは感じない。「なにもここまで歌わなくても」と思う読者もいるかも知れないが、私は「よくぞ、ここまで歌った」と讃えたい。おそらく、姑が悪いのではなく、そういう時代だったのだ。男の子が望まれ、女に学問は要らないと言われた時代が、姑の言葉に現われているだけなのだと思う。作者も、そう思っているから、歌に出来たのだろう。

 

プランターに三色すみれ植ゑしよりわれの手足も春となりたり

ベランダに土を買ひきて花植ゑて裸足を知らぬ子も育てたり

しろじろと花の姿の見えくれば待合はせのごと足早となり

休日は体力作りの河川敷自転車・走者・ゆつくりの吾

梅干しの漬け方母の旧かなの便せん一枚今年も読みぬ

 

境涯を詠んだ歌には衝撃を受けたが、このような日常を歌った作品に、ほっとする。『三丁目ハイツの春』のタイトルにふさわしい作品だ。

 

3月某日

小島ゆかり『泥と青葉』

 

第12歌集になる。2009年夏から2013年初夏の作品が収められているので、東日本大震災を詠んだ歌が多く収められている。小島ゆかりというと社会詠の印象が薄いのだが、それは、この集の震災の歌を読めばわかるのだが、社会詠の範疇で論じることが出来ない歌い方で社会詠が作られているからだ。

 

二人子を亡くした母がわたしならいりません絆とかいりません

見なければきつと忘れてしまふから見るためだけに被災地へ行く

被災者にわれはあらぬを隈ぐまに泥水たまりからだ重たし

飯を炊く湯気こもりゐる部屋暗しかたじけなくてすつぱいいのち

 

小島は震災を自分に引きつけ、「わたし」の問題として歌う。客観的に、あるいは傍観者として歌おうとはしない。被災者でないことを十分に認識しながら、被災地に「わたし」を置いてみる。そうすることで本音で歌うことができる。情報から得た感想や、テレビが繰り返したスローガンとは違う本音だ。

本音は時として、被災者の心情を害するのではないかと心配してしまう言葉になって現われる。本建て前であれば全くない近づかなくて済む危うさを本音という言葉にする。断崖の、うしろから突き落とされかねないギリギリのところまで行って、小島は歌っている。

1首目、すごい歌だと思う。子供を二人失ってしまった母にとって、絆どころか、一切のものが何の役にも立たないであろう。絆を万能薬のように押し売りする風潮へのアイロニーではあり、子供を失った母はそっとしておくことしか出来ないんだという訴えでもある。「わたしなら」と「もし仮に」の例え話として歌ってはいるが、母というものは全てそういうものなんだと強い信念のもとに詠まれていると思う。わたしがそうなんだから、あなたも・・・と寄り添っている。

2首目は不遜ととられかねないかねない危うさを含んでいる。「見るためだけに被災地へ行く」が強く響くから。だけど大切なのは「見なければきつと忘れてしまふから」の部分。下句があまりにもインパクトが強いので、上句が消されてしまう。どうか下句だけで一首を判断しませんように。3首目と4首目は被災者でなく、生活していることのやましい気持ち。「泥水たまり」「すつぱい」に現われている実感に、多くの読者が頷くのではないだろうか。

 

夏蜜柑むけば飛沫けり生き下手のちちが上手に死ねますやうに

ふゆぞらにファンファーレ鳴りあたらしき父の病はパーキンソン病

病名をひとつふやしてジャンジャカジャンまた新しきあなたとなりぬ

父はもう家を忘れて木犀の秋、ふりむかずわたしは帰る

匙うまく使へなくなりなにもかも父はぼろぼろ手づかみで食ふ

 

本歌集に流れている時間が一番明らかに表れているのは父を詠んだ歌である。前歌集『さくら』より続く父の病気の進行が描かれている。介護の歌と規定するよりも、父と娘の歌、父の命を見つめた歌として読みたい。

回復不能なところまで進行してしまった父、娘として望むのは苦しまない死に方だけであろう。「上手に死ねますやうに」と願いを言葉にしたとき、短歌は文芸を越えて、言霊を呼び起こすための祈りの器になっている。小島が父を詠んだとき、聖なるものを感じるのは、言葉に祈りが込められているからだろう。

2首目と3首目、増えてゆくばかりの父の病名。笑っちゃうしかないような苦しさと悲しさが作者を充たしている。もうこの先は「あたらしきあなた」として迎え入れ、包み込み、許容するしかないのである。切ない。4首目は病院からの帰り道、「ふりむかず」は、遠からず訪れる父の死への心の準備でもある。病院へ行く毎に、病院から帰るごとに、父の死を受け入れる気持ちを整えている。

 

六月の女はしろい川原なり素肌に暑き陽ざしあつめて

いちじくを食めばおもたくなるからだ蛇口が不意に水をこぼせり

水道管工事の人の弁当の卵かがやく五月となりぬ

空知川上空にしてギンヤンマ、がしッと銀の交尾をしたり

 

体感を詠むことに小島は長けている。女性特有の体感は、私が読む限りでは、生々しく、かなりエロティックだ。女を川や水に喩えることは多いが、川原に喩えてのは初めてではないだろうか。

命の尊さを詠んだ歌にも多く立ち止まった。人間とギンヤンマ、それぞれの命を讃え、命を畏れている。五月は今までにいろいろな歌い方をされてきたが、弁当の卵焼きの輝きで五月を現わした歌を見たことがない。

小島は「あとがき」で次のように書いている。

「『泥と青葉』は、これまでとはいくぶん印象の異なるタイトルですが、ほかには言葉が見つかりませんでした。うまく説明できませんが、この世を生きる命への恐怖と畏怖、そして生き続ける命への祈りと言ったらよいでしょうか。しかし現実には、底深い渾沌に足をとられるような、言葉にしがたい感覚をどうにも表現することができなかったと、思わざるを得ません。歌を作ることは、生きる時間を噛みしめることだと、改めて、そう思います」。

 

最後に、わたしはたのしい歌が好きなので、読んでニンマリした歌を挙げておく。

 

大江戸線に乗ればねむたし古池に蛙とびこむ水の音して

久保田飲み黒霧島を呑むころにわがわたくしははるかになりぬ

「だまされてはいけません」あれど「だましてはいけません」なしバスの放送

親指から人差し指へすみやかにうつる時代を見るのみわれは

 

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このコラムはホームページに掲載するという特性を生かし、即時性を第一に考えている。出来るならば、その本の、最初の書評でありたいと思っている。なので、昨日届いた本を、昨日のうちに読み、今日書いている。じっくり読んで、じっくり書けば、当然のこととして違う読み方も書き方もできる。表面的な論じ方になってしまっている点を否定はしない。著者のみなさまにとって望むところではないだろう。申し訳なく思う。

でも、即時性を第一に考えると、この方法しかない。願わくは、コラムが読まれて、本を手に取る人が一人でも増えてくれること。取り上げた本は、別のところでも必ず論じられるであろうから、深い考察は、そちらに譲ることにする。

以上、言い訳めいた〆の言葉でした。