今井恵子のアーカイブ

片耳をそっとはなした電話から鎖のように声はこぼれる

吉野にはあの世この世を縫ひあはす針目のやうな蝶の道あり

なかぞらのすきまに見えて赤き實の三つ野鳥ののみどへ行けり

自動エレベーターのボタン押す手がふと迷ふ真実ゆきたき階などあらず

わが脚が一本草むらに千切れてゐるなど嫌だと思ひつつ線路を歩く

すべからく落つるべき子が落ちしかな大田区池上むかしの肥溜め

呼ぶ声の水にひびかひ草むらにもう一人ゐて少年のこゑ

白つつじゆたかに昼の日は射して蝶、蝶を追ひ人、人と行く

そうですか 怒鳴り続ける声があり頷きながら思う白鷺

戦争を知らぬ世代が老いてゆく不安なタンポポ空ばかり見て

寂しさの根源として縁側の日なたに出でて正座する人

老いさびし犬の散歩に小太りの猫の薄目や 法案通る

つけ捨てし野火の烟のあかあかと見えゆく頃ぞ山は悲しき

衰ふるわが眼のために咲きそむるミモザの黄なる大き花房

浦の名をうなゐに問へば知らざりき少女に問へば羞ぢて答へぬ

空白について考えようとしてその人が立つ窓辺を思う

朝に飲むコップの水のうまきこと今飲むごとく話す父はも

<石炭をば早や積み果て>て近代の暗礁に乗り上げたる船は

妻病みて七年たちぬ非日常が日常となるまでの歳月

地下デパートのゆき止まりに鸚鵡みじろがず人寄ればわづかに目開けまた閉づ

雲よむかし初めてここの野に立ちて草刈りし人にかくも照りしか

さくらばな陽に泡立つを目守まもりゐるこの冥き遊星に人と生れて

ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも

今宵、月にシルバーベッドの影が見え老いたる鶴がひとりづつ臥す

浅草の地下に溜れる浮浪児を父の肩より見しを忘れず

靴音となり人のゆく地下道の靴音の群へわれも降りゆく

リストラというよりかつての日本語は端的率直馘首と記す

眼にふれて時にひかるは春の日に蜘蛛の糸など飛ぶにかあるらし

原発が来りて富めるわが町に心貧しくなりたる多し

流されて家なき人も弔ひに来りて旧の住所を書けり

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