新しき黒もて黒を塗りつぶす分厚くわれの壁となるまで

大西民子『雲の地図』(1975年)

 

作者は、1924年の明日5月8日に生まれ、1994年1月5日に69歳で死去した。

短歌を読みはじめてしばらくの間、大西民子は苦手科目だった。最初に触れた歌集が、筑摩書房の現代短歌全集に入っている第一歌集『まぼろしの椅子』であり、夫に去られた妻の恨みつらみ節に辟易した。以後まともに読む気が起きなかったのだが、あるとき短歌研究文庫『大西民子歌集』で著者自選千五百余首にふれ、「うまい。すごい」とおどろいた。目のつけどころといい、一首に抒情を流しこむ手さばきといい、作歌の手本のようだ。文句をつけるとすれば、第一歌集出版の後何十年経ても作品世界に延々と「夫に去られた幸薄の女」を打ちだしてくるところだが、作家としての力量は明白だ。4月29日の「一首鑑賞」に吉野裕之が書いているとおり、「人としての成熟。短歌という詩型との親しさ。そのどちらにも深く納得する、そんな作品たち」なのである。

 

さて、一首は心象風景の歌だ。すでに黒壁としてそこにある壁を、新しい黒で塗りつぶして<わたし>の壁にする、という。黒を黒で「塗りつぶす」に迫力がある。「塗りこめる」くらいでは作者は満足しない。分厚く塗られた黒壁を自分の周りにめぐらす<わたし>。生きがたさを「黒」で象徴するのは常套的な手法とはいえ、インパクトある仕上がりだ。もしかしたら作者の意図は、「幸薄の女」を重ねて読んでもらうことにあるかもしれないが、希望には添いたくない。主人公に昔こんな女の不幸があったから今こうなのね、という読みは、歌を小さくするだろう。

 

はじめてこの歌を読んだとき、楽曲「黒くぬれ」の短歌版じゃないかと私は思った。原題を“Paint It Black”という、ローリング・ストーンズ1966年のこのヒット曲は、「赤いドアを見ると、黒く塗りたくなる。どんな色も、みんな黒くしたくなる」とうたう。彼ら前年のヒット曲「サティスファクション」からの類推で、若者の苛立ちをうたった曲と思われがちだが、死別したばかりの恋人を想うものだ。作詞作曲担当のミック・ジャガーとキース・リチャーズは、当時二十三歳だった。

 

1960年代のイギリスで二十代のロック・ミュージシャンが書いた歌と、1970年代の日本で五十歳前後の歌人が書いた定型短詩が、重なりあう。こんな「発見」は楽しい。大西作は、赤や青を黒くするのではなく、もともと黒いものをさらに黒くするといっているわけで、より過激だともいえる。

 

個人的事情ながら私の前歴の一つは、「ローリング・ストーンズの追っかけ」である。学生時代にヨーロッパを奔走した。わがジャガー&リチャーズがことばを連ねて書いた内容を、五句三十一音でぴしりといいきったのだから大西民子は、やはり「うまい。すごい」。

「新しき黒もて黒を塗りつぶす分厚くわれの壁となるまで」への2件のフィードバック

  1. この黒はドーミエの絵画の黒のことではありませんか。大西民子の秀歌はほとんど絵画が背景となっているのです。(「大西民子の絵画のうた」これ盛岡の古書店にあります。 盛岡市 石川朗。

  2. 石川朗さん、ご教示ありがとうございます。

    〈埋めたての人ら去りゆきパレットのかたちに白く暮れ残る沼〉などの大西作品を思いだしました。作品の読みがふかまります。

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