イカルス遠き空を墜ちつつ向日葵の蒼蒼として瞠くまなこ

塚本邦雄『日本人霊歌』(1958年)

*「瞠」に「みひら」のルビ

 

塚本邦雄は1920年の8月7日に生まれ、2005年の明日6月9日に84歳で死去した。忌日を神變忌(しんぺんき)という。

一首は、私にとっての塚本作品ベストワンだ。なぜか。短歌入門期の私は、かつてスカイダンビング・インストラクターとして過ごした日々を、歌に作りたいと思っていた。でも、どんな角度でどう作ればいいのか、さっぱり見当がつかない。参考になる先人の歌はないかと、片端から歌集に当たっていく中、この歌に出会った。

 

一読してあっと思った。この作者はスカイダイビングのことを何も知らないだろうに、なぜこんなにこのスポーツの核心をつかんだ場面を描けるのか。

スカイダイビングでは、時折パラシュートが開かず地上に激突して死ぬ事故が起きる。着地エリアにたむろしているスカイダイバーの目前でそれは起きる。草の上で自分のパラシュートを畳んでいると、あるときまわりの皆がしんとする。はっとして空を見ると、人影が地上へ落ちていく。着地エリアの向こう、森の上だ。まだ生きている。足をばたつかせている。でも一秒後に死ぬ。
まだ生きている。
何もできない。
人影は森に消える。
ただ見るしかできない無力感、この一秒間の思いは、ことばにすることができない。目をみひらいたまま沈黙の叫びをあげる、地上のスカイダイバーたち。

 

高度四千メートルで飛行機を飛びだしたスカイダイバーは、六十秒ほど空中を落下したのち、パラシュートが開かなければ時速二百キロで地上にぶつかる。これを「インパクト」という。衝撃で体が地面に跳ねるため「バウンス」ともいう。死はこのスポーツの一部だ。

 

<イカルス遠き/空を墜ちつつ/向日葵の/蒼蒼として/瞠くまなこ>と7・7・5・7・7音に切って、一首三十三音。「蒼蒼」は、「ソウソウ」とも「アオアオ」とも読め、どちらを取るかは読み手にゆだねられている。私は「ソウソウ」と読む。

 

起承転結があざやかな歌である。「イカルス遠き空を墜ちつつ」の起承までは、ふつうだ。というより、むしろ常套的だ。イカロスの墜死は詩歌によく出てくる。だが「向日葵の蒼蒼として」で世界が一転する。夏まっさかりの、炎天の向日葵。「瞠くまなこ」が結の部分であり、一首の核心だ。向日葵の「瞠くまなこ」は、全円にかっと開ききった花をあらわすだろう。「瞠」という画数の多い漢字一文字に「みひら」とルビを振った、その文字面に緊迫感がある。初めて読んだとき、「瞠くまなこ」の部分からしばらく目が離れなかった。
そうか、森の上に落ちるスカイダイバーを凝視していた私は、私たちは、向日葵だったのか。
そう思った。

 

遠景にイカロス、近景に向日葵を置く構図。黒い色だと形容されることの多い向日葵の花に、「蒼」を配することばの斡旋。あらためてこの歌を観察すれば、テクニカルな部分はいくらでも指摘することができる。けれどつまるところ、私にとってのこの一首は、初めて読んだときの衝撃がすべてだ。

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