夏空は帽子のつばに区切られて銅貨のように落ちてゆく鳥

吉川宏志『燕麦』(2012年)

 

夏だ。〈わたしの〉頭上には燃えるような夏空がひろがっている。帽子をかぶった〈わたし〉に見えるのは、帽子のつばによって一文字に区切られた空の、下の部分だ。その下半分の空のなかを、何の鳥かわからないが、鳥が一羽、銅貨のように落ちてゆく。

 

〈夏空は/帽子のつばに/区切られて/銅貨のように/落ちてゆく鳥〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。上句と下句にそれぞれユニークな表現が置かれている。

 

「夏空は帽子のつばに区切られて」。男性の〈わたし〉がかぶっているのは野球帽だろうか。空が帽子のつばに区切られた、という表現が新鮮だ。窓枠に区切られた空、という言い方はよく短歌で使われる。作者は、そこに空の新しい切り取り方を提示した。

 

「銅貨のように落ちてゆく鳥」。おもしろい比喩だ。上句で読み手におっ、と思わせ、下句でおおっ、と思わせる。鳥が銅貨のように落ちてゆくとは、どんな状態だろうか。「落ちてゆく鳥」ならぬ「落鳥」の場合は、1月15日の本欄で紹介した、伊津野重美〈よきものとなりますように 落鳥の地から萌え出る楡の木もあり〉に見られるように、鳥の死を意味する。またつぎの、岡部桂一郎の歌でも、遠くの空に落ちた鳥は死ぬかもしれない。

昏れ方の曇りに遠く鳥落ちてみだれし心しずめんとする     岡部桂一郎『木星』

 

「昏れ方」「曇り」「みだれし心しずめんとする」が鳥の命運を暗示する。「みだれし心」は、鳥が落ちるのを見る前から、あらかじめ乱れていた気配もあるが、鳥を目撃していっそう乱れた。

 

けれど一方、吉川宏志の歌は、「夏空」と気持ちよく詠いおこし、「帽子のつばに区切られ」た空、すなわち夏空のしたで動きまわっている活動的な〈わたし〉を持ってくる。こうしたことばの斡旋により、初句から読み下していく者の前には「銅貨のように落ちてゆく鳥」によって、羽根をたたんでさーっと空を下りてゆく鳥のすがたが浮かぶのである。夏の爽快さを感じされてくれる歌だ。一首のなかに工夫した表現を二つ以上使うときは、油断すると歌が重くなってしまうものだが、ここではさじ加減がうまくいっている。

 

鳥が落ちるといえばあんな歌もあったなあと、いくつか歌を思い浮かべて、吉川作品の余韻にひたるのは、短歌を読むたのしみのひとつだ。

 

羽収めて落ちながら飛ぶ鳥の影ゆだねむわれをわれの見ぬ日へ     横山未来子『花の線画』

棒のごと羽をすくめて飛びながら鳥はときどきただ落ちてゐる          朝井さとる『羽音』

 

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