夜な夜なを夢に入りくる花苑の花さはにありてことごとく白し

明石海人『白描』(1939年)

 

明石海人は、1901年の明日7月5日に生まれ、1939年6月9日に37歳で死去した。

 

夜ごとに〈わたし〉は夢を見るのだ。夢には決まってある花苑があらわれる。あたりが暗いのでたぶん夢の中も夜なのだろう、むこうの方にぼうっとそれは見える。ああ、またあの花苑だと思う。すると、なぜだか〈わたし〉はもう花苑の奥深いところ、花々のただ中をあるいているのだ。こんなにたくさん、いったい何の花が咲いているのだろうとしきりに目を凝らすが、わからない。花の白さ。ただそれだけが、みひらいた〈わたしの〉目に感知されるのだ。月のない夜だというのに、花はそれ自身が発光体のように、ぼんやり白くひかっている。

 

〈夜な夜なを/夢に入りくる/花苑の/花さはにありて/ことごとく白し〉と5・7・5・8・8音に切って、一首三十三音。この歌を読んで私は、三木卓の小説『かれらが走りぬけた日』を思った。夏の日の植物園に侵入した少年たちが、死の世界を思わせる幻想的な山河へ迷いこんでゆく物語だ。小説と同様、この歌からも死の匂いを感じる。一種、甘やかな匂いだ。「夜な夜な」、「花苑の花」に見る「夜」「花」のリフレインが、そんな印象を与える。悲しみや苦しみからは自由な死。下句「花/さはにありて/ことごとく/白し」の、2・6・5・3音による韻律のうねりも、甘やかさを深める。

 

明石は、ハンセン病の歌人として知られる。歌集巻末「作者の言葉」によれば、死の五年前に当たる1934年頃に作歌を始めたという。わずか数年で、作者はこのような象徴性ある秀歌を作るに至った。歌集の八割の作を収める第一部「白描」、冒頭の歌を含む第二部「翳」には、それぞれ次のような歌がある。

診断を今はうたがはず春まひる癩に堕ちし身の影をぞ踏む  「白描」

*「癩」に「かたゐ」、「堕」に「お」のルビ

眼も鼻も潰え失せたる身の果にしみつきて鳴くはなにの虫ぞも    *「潰」に「つひ」のルビ

コロンブスがアメリカを見たのはこんな日か掌をうつ青い太陽  「翳」

かさかさと爪鳴らしつつ夜もすがら畳にみだるる花びらを摘む

 

「作者の言葉」に明石は書く。「第一部白描は癩者としての生活感情を有りの儘に歌つたものである。けれど私の歌心はまだ何か物足りないものを感じてゐた。あらゆる仮装をかなぐり捨てて赤裸々な自我を思ひのままに跳躍させたい、かういふ気持から生れたものが第二部翳で、(略)」。こう書いた五か月後に作者は死去するが、「何か物足りないものを感じ」たのは、病によるものではなく、この人本来の資質によるものだろう。同じ病を得ても、「生活感情を有りの儘に歌」いつづけたい作者だっているはずだ。だが、明石はそれで満足するタイプの作者ではなかった。ハンセン病患者だから書ける歌ではなく、明石海人だから書ける歌を書こうとした。そして書いた。この人がもう少し生きていたら、さらにどんな歌が生まれていただろうか。

 

なお、歌集名はよく勘違いされるが、白を描く『白描』であって、白い猫『白猫』ではない。岩波文庫から2012年に、『白描』を含む『明石海人歌集』が出ている。

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