十四インチ望遠鏡のレンズいつぱいに這入つて来た巨大な月!

前田夕暮『水源地帯』(1932年)

 

前田夕暮は、1883年の今日7月27日に生まれ、1951年4月20日に67歳で死去した。

 

〈十四インチ/望遠鏡のレンズ/いつぱいに/這入つて来た/巨大な月!〉と7・10・5・6・6音に切って、一首三十四音。天体望遠鏡で月を観察し、その大きさに驚いている場面だ。口語、破調、感嘆符、そして「インチ」という「バタ臭い」語の採用。短歌の新しい文体をめぐる冒険だ。やってやるぞ、という心意気に満ちている。

 

作者はこの歌の制作に先立つ十数年前、〈向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ〉(*「向日葵」に「ひまはり」のルビ、「ゆらり」に「、、、」の傍点 )という歌を作っている。『生くる日に』(1915年)の一首だ。学校の教科書によく採られるので知っている人も多いだろう。こういう端正な名歌を書いた人が、なぜまた冒頭歌のようなぎくしゃくした歌を書くのかと思うが、べつだん歌が下手になったわけではない。いま現在のあるべき短歌の姿を求めるとこうなるのである。いわゆる「自由律」の短歌。

 

二十一世紀現在の読者はともすると、斎藤茂吉の歌が文語なのは、茂吉が昔の人だから、と考えがちだ。だが、茂吉が文語歌を作るのは、そのスタイルを選んだからであり、明治の昔から「文語定型だけが短歌の表現ではないだろう」と考え、実行する人々は存在した。前田夕暮の『水源地帯』は、そうした流れの中に位置づけられる。パッションの強さは他の追従を許さない。

 

夕空の陰をびつしよりあびて、ふくれあがるいびつな瓦斯タンク!

えたいの知れない感情が空をながれる――瓦斯タンクの肝臓ヂストマ!

五月の空はバツトの箱の色。青白い基隆行の汽船がある!

 

感嘆符「!」だけを取っても、考えるまえにまずやれという方針だ。どしどし付ける。椎名林檎の曲の歌詞にしたらよさそうな歌となる。

 

蚕豆の青いふくらみ、少し軟い感じはするが、鮮やかな小皿!

肉体的な、現実的な都市!真逆さまに空におちてくる大阪!

生きてゐることが次第に寂しくなる。そして、時たま火の燃えるやうな歓び!

うようようじがわいてゐる。不気味に笑つてゐるうじの顔をみろ!

うしろでに縛りつけられてゐながら、ふてぶてしく空を睨んでゐる奴!

 

やりたい放題! どのうたにも! 感嘆符をつけてっ! 劇画のっ! 吹き出しのようにっ!! なってゆくうううっ!!!

この不屈の探求心。八十年後の自分おちおちしていられないぞ、と短歌作者として思う。

「十四インチ望遠鏡のレンズいつぱいに這入つて来た巨大な月!」への2件のフィードバック

  1.  記述の最後の方は荒木飛呂彦の初期作品かと思ってしまいました(笑)
     自由律(短歌・俳句を問わず)の説明で最もしっくりきたのは、荻原井泉水の「自由律は象徴の詩である」というものです。私も定型を詠みづらくなると自由律を詠む時がありますが、確かにリズムと言葉の双方を探している感覚はありますね。
     それでは。

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