もう死にたい まだ死なない 山須臾の緑の青葉 朝の日に揺れているなり

鶴見和子『遺言』(2007年)

*「山須臾」に「さんしゅゆ」のルビ

 

鶴見和子は、1918年6月10日に生まれ、2006年の明日7月31日に88歳で死去した。

 

社会学者として一家をなした人である。著書・受賞歴は多数にのぼる。政治家鶴見祐輔の娘で、哲学者の鶴見俊輔は弟。母方の祖父は後藤新平だ。十五歳で佐佐木信綱に入門し、また花柳流の日本舞踊を習う。歌や踊りは、こうした家庭環境にある娘の必須科目だったのだろう。

 

1995年、脳出血で倒れ左片麻痺となる。以後の人生を、湧き出すように出てきたという短歌と共に送ったことは、著書、対談、インタビュー記事などで広く知られる。

 

〈もう死にたい/ まだ死なない/ 山須臾の/緑の青葉/ 朝の日に揺れているなり〉と6・6・5・7・12音に切って、一首三十六音。〈わたし〉はもう死にたいと思うが、まだ死なない。山茱萸の青葉が、朝のひかりの中で揺れている。歌意は、明瞭だ。「もう死にたい、まだ死なない」というストレートな語り口が印象深い。癌による死の二十日前、7月10日の作だ。

 

『遺言』には、鶴見和子の妹内山章子による、病室の姉の記録が収められている。7月25日、結果的にそれは和子の死の六日前になるのだが、見舞いに訪れた俊輔と、ベッドの和子の会話を、内山章子はこう書きとめる。

 

以下引用
「死ぬというのは面白い体験ね。こんなの初めてだワ。こんな経験するとは思わなかった。人生って面白いことが一杯あるのね。こんなに長く生きてもまだ知らないことがあるなんて面白い!! 驚いた!!」というと、兄は、
「人生は驚きだ!!」と答え、姉は、
「驚いた!!  面白い!!」といって、二人でゲラゲラ笑う。
引用ここまで

 

自分を笑いとばす精神。強がりをいっているのでも何でもなく、純粋な好奇心から、二人は死を面白がっている。彼らが各々の分野で大きな仕事を成し得たのは、この強靭な好奇心あってこそだろう。「老いわれ」の嘆き節少なしとしない短歌に触れている目には、とびきり爽快な会話、精神のありようだ。

こんなことがいえる人に私もなりたい、というのは大それた望みとしても、こんなことをいう人にはあこがれずにいられない。

 

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