悪徳の壁塗り職人ヘンリー・ミラー氏あるあさ空をあおく蒼く塗る

辺見じゅん『雪の座』(1976年)

 

辺見じゅんは、1939年7月21日に生まれ、2011年の今日9月21日に72歳で死去した。世間的には、『男たちの大和』(新田次郎文学賞受賞)や『収容所から来た遺書』(講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)の著者として、また角川書店(当時)の創始者角川源義の娘にして角川春樹・歴彦兄弟の姉として、より広く知られるだろう。かくいう私も、短歌と出会って初めて、この硬派のノンフィクション作家が歌人でもあることを知った。

 

〈悪徳の/壁塗り職人/ヘンリー・ミラー氏/あるあさ空を/あおく蒼く塗る〉と5・8・8・7・8音に切って、一首三十六音。ずいぶん字余りなのは、フルネームの人名を丸ごと三句に入れ、かつ「氏」まで付けたからだ。歌に長い固有名詞を入れるときは、句跨りを使う、七音の句に丸ごと入れるなどの方法がよく使われるが、変則技として五音の句に入れる手があり、この歌はそれでいった。「ヘンリー・ミラー」の七音で、すでに二音超過。気が小さい作者だと、遠慮して「氏」は付けないかもしれない。五音の句に八音はあんまりだ。しかしこの作者は踏み込む。その態度は正解だった。

悪徳の壁塗り職人ヘンリー・ミラー氏あるあさ空をあおく蒼く塗る (原作)

悪徳の壁塗り職人ヘンリー・ミラーあるあさ空をあおく蒼く塗る  (改作)

改作の方は、ちっとも面白くない。ヘンリー・ミラー「氏」であるところに、ユーモアがただようのだ。作者の茶目っ気といってもいい。鎮魂歌の書き手として知られる作者には、こんな一面もあった。

 

歌意は、わかりやすい。悪徳の壁塗り職人であるヘンリー・ミラー氏が、ある朝、壁ならぬ空を青く塗っている、という。想像風景の歌だ。「悪徳の」は、マルキ・ド・サド(1740―1814年)の、『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』を踏まえるだろう。サディズムという語の源であるサド。ヘンリー・ミラー(1891―1980年)は、そのサドの系譜を引く作家だ、と歌はいいたいようだ。ミラーには、性表現のため発売禁止となった『北回帰線』や、『南回帰線』『薔薇色の十字架1セクサス』など多数の著書がある。私生活も奔放で、五番目の妻とも八番目の妻ともいわれる日本人ジャズ歌手ホキ徳田は、1967年の結婚当時、七十代後半の作家のほぼ五十歳年下だった。離婚後に帰国したホキ徳田はいまも健在で、六本木にバー「北回帰線」を開き、ラジオ局インターFMにジャズの番組を持つ。十九世紀生まれの、生きていたら今年百二十二歳になる作家の妻だった人物が、いまも現役で働いているのだ。ミラーにまつわる事実のすごさを思えば、「悪徳の壁塗り職人」は、少しばかりおだやかな形容ともいえる。

 

下句「あるあさ空をあおく蒼く塗る」は、楽しい展開だ。悪徳の職人が、どういう風のふきまわしか今朝はおとなしく空を青く塗っている。悪徳ぶりを発揮して空を赤く塗ったり、黒く塗ったりしない。韻律的にも、ア音の連なりが明るく響く。

 

ヘンリー・ミラーという題材には、1970年代の匂いがある。歌集の中では、この歌の後にボーヴォワールやシモーヌ・ヴェーユを詠む作がならぶ。いずれも当時よく読まれた作家だ。辺見の第一歌集『雪の座』は、1976年に角川書店から刊行された「新鋭歌人叢書」の一冊であり、同年に、高野公彦『汽水の光』、下村光男『少年伝』、成瀬有『游べ、櫻の園へ』、小野興二郎『てのひらの闇』、杜沢光一郎『黙唱』、玉井清弘『久露』が、やや遅れて1979年に小中英之『わがからんどりえ』が上梓された。70年代の空気を伝える作品群といえよう。
なお、辺見じゅんは、第二歌集から旧仮名遣いを採用している。

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