痛がりの乳房を持っていたころに初めて嚙んだこのタブレット

東直子『春原さんのリコーダー』(1996年)

 

短歌を作り始めた人間が、最初に出あう新世界が歌会なら、次に出あう新世界は歌集批評会だ。私にとっては、2002年の明日10月6日に開かれた「東直子歌集『青卵』を語る会」が、初めての批評会体験だった。

 

その会で一番記憶に残っているのは、〈ぼくらはとても存在だよね指先の焦げた手袋はめてはにかむ〉をめぐる意見交換だ。「とても存在だ」はこなれない日本語で許容できないという人、いやそこが面白いのだという人。エッセイや小説に出てきたとき自分だったら違和感なく受け入るだろう表現が、短歌の中では賛否両論となることを、私は知った。東直子という人は、従来の短歌では使われなかったことばを、短歌に取り込もうとしているらしい。作者はその後小説の執筆も手がけるようになったが、こちらは小説として許容できるかどうか迷うような表現や構成は採られていない。韻文と散文における、この執筆姿勢の違いは興味深い。

 

さて、歌は作者の第一歌集に置かれる。〈痛がりの/乳房を持って/いたころに/初めて嚙んだ/このタブレット〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。「痛がりの乳房を持っていたころ」が眼目だ。むかし女の子だった女性読者ならすぐに「ああ、あの頃ね」と思う。男性読者でピンとくる人は、よほどの女体専門家か医者かだ。

 

初潮が近づく小学校高学年頃、女の子の胸にはくりくりしたしこりがあらわれる。乳房の種だ。一見いままで通りの平たい胸だが、しこりを摘むとむずがゆい。叩くと痛い。この年頃の女の子たちはよく、互いに「急所」を攻撃しあって遊ぶ。ちょうど、男の子たちがペニスを掴みあってふざけるように。私の場合は、小学六年生のとき、帰り支度で廊下のランドセルを取りに教室を出入りするときが、「攻撃タイム」だった。一日のうちその時だけ、女の子同士の暗黙の了解で、すれ違いざまに隙をみて相手の胸を両手でばん、と叩くことが許されるのだ。叩かれると痛い。でもギャッと叫んでうずくまるほどはまだ痛くない。少女でいられる最後の日々の、つかのまのたわむれ。

 

東直子はそれを、「痛がりの乳房を持っていたころ」といった。元少女だった者として、この命名センスに乾杯したい。言語感覚の冴え。

 

下句は「初めて嚙んだこのタブレット」と展開する。手のひらのタブレットを見て、そういえばあのころ初めて噛んだなあ、と少女期に思いをはせる〈わたし〉。「タブレット」は、薬剤ではなく、フリスクなどのタブレット菓子を想像したい。「痛がりの乳房」には甘いお菓子がよく似合う。

 

え、あなたは胸の叩きあいなんていう真似はしなかったって? いや、それはもちろん、ペニスの掴みあい経験がない男性がいるように、胸の叩きあい経験のない女性もいるだろう。

 

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