ただの日となりてかろうじて晴れている十月十日ジョギングをせり

中沢直人『極圏の光』(2009年)

 

ただの日になる前の10月10日って、何のこと? と首をひねる日本人は増加の一途をたどっており、そのうち日本中首をひねる人ばかりになるだろう。

 

1966年、10月10日は「体育の日」として国民の祝日となった。この日は、1964年に東京オリンピック開会式が行われた日だ。そして2000年、「体育の日」は同じ名称のまま10月の第二月曜に移動した。同じ年に、「成人の日」も1月15日から1月の第二月曜に移動している。

 

祝日の名称・日程の変化はおもしろい。その時代に生きている大人には当たり前すぎるほど当たり前のことが、変化後に生まれて来る子どもには、未知のことになる。大人にしても、祝日が移動して数年もたてば、そんなことは忘れてしまう。思いだすのは、移動してせいぜい二、三年のことだろう。

 

〈ただの日と/なりてかろうじて/晴れている/十月十日/ジョギングをせり〉と5・8・5・7・7音に切って、一首三十二音。法律による祝日の移動と、生活実感のずれ。歌は、そこを捉えた。祝日でなくなった平日を、「ただの日」といったのが眼目だ。ただの日になってしまい、けれど雨を降らせたりはせず、かろうじて晴れている10月10日に〈わたし〉はジョギングをする。「体育の日」といわずに、「ジョギング」で何の歌かを示す。あ、きょうは10月10日だ、と〈わたし〉は思う。体育の日だったなあ、そういえば。

 

この「そういえば」が何年つづくかは、人それぞれだろう。そんなことは一度も思わない人、運動会で青春の思い出を作ったのでなつかしみ続ける人。また「体育の日」が10月10日だったのは、1966年から1999年までの34年間であり、いまの小学生には歴史上の出来事だ。「天皇誕生日」が「みどりの日」になり、「昭和の日」なったことを、生活実感として彼らは知らない。戦後生まれの私にしても、「文化の日」が「明治節」すなわち明治天皇の誕生日だったことを知ったときは、心底驚いた。中沢の一首を出発して、読者の思いはひろがってゆく。

 

『極圏の光』は中沢直人の第一歌集だ。巻末の著者略歴には、「1992年 東京大学法学部卒業、1996年 ハーバード大学法科学院大学院修了」という「立派すぎる」記述がならぶ。こうした学歴を一切出さない手もあるが、この人は打ちだす道を選んだ。そして、読者が目を見張る学歴を逆手に取って、つぎのような歌を作るのである。

 

エリートは晩秋の季語 合理人の孤独を映す水面静けし

貧困の理由は常に内側にある ぐじぐじと這うあめふらし

すがれゆくパルテノン多摩若すぎて憎まれるうちに教授になりたい

 

中沢直人という歌人にしか作れない歌を作る、という意志にみちており、歌のよしあしは別の話として、読み手は大いに今後を期待したくなる。歌集には、男女観をめぐってこんな歌もある。

 

女性には一人で産むという選択のあること羨し 洋梨を剥く

黒を着る女性の多さ終電に揺られ男女皆兵を願へり

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