北原白秋『雲母集』(1915年)
*「一本」に「いつぽん」のルビ
北原白秋は、1885年1月25日に生まれ、1942年の今日11月2日に、57歳で死去した。
〈眼鏡橋の/眼鏡の中から/眺むれば/柳一本/風にゆらるる風にゆらるる〉と6・8・5・7・14音に切って一首三十九音。下句は〈柳一本風にゆらるる/風にゆらるる〉と14・7音に切る手もある。いずれにせよ、大幅な字余りだ。「風にゆらるる」を一つ取れば「ふつう」の歌になるが、作者はそれをよしとしなかった。リフレインと、定型を大きくはみ出す字余りとで、風にゆれる感じを韻律的にあらわした。さすが日本語を熟知している人の作だ、とは作者名が白秋だからいえることであって、もしもこの一首が結社月例の無記名歌会に出されていたらどうだろう。誉める人もいる一方、「風にゆらるる」は一度で十分だとか、リフレインを使いたいなら他の部分を削って定型に収めるべきだなどの意見も多く出るのではないか。あなただったら、この字余りをどう評価するだろうか。私は、「おもしろいけれどいかにもねらいましたという感じ」などといってしまいそうだ。人にどういわれるかなど意に介せず、自分の作りたいように作る大切さ。白秋の一首からそれを思う。
歌意は明瞭だ。眼鏡橋という名の橋の下に立って〈わたし〉が眺めると、一本の柳がさかんに風にゆられている。「眼鏡橋の眼鏡の中から眺」めるという表現から、橋がメガネの形をしていることが想像できる。
さて一首は「Aの中からBを見る」という歌の系譜にある。Aに何を持ってくるかが、腕の見せどころであり、いろいろな作者がチャレンジしてきた。
襟巻の中からのぞく野の夕日 前田普羅『定本普羅句集』
家一戸火のとげ立ちて燃えゆくを我はえりまきの中より見つむ 高野公彦『汽水の光』
椎落葉引き寄せながら燃ゆる火を顔の中から我は見ている 吉川宏志『海雨』
*「椎落葉」に「しいおちば」のルビ
高野の歌は、普羅の句の面影をかすめつつ、「とげ立ちて燃えゆく」家という印象鮮明な景を差し出す。あっと驚くのは吉川の歌だ。「顔の中から」見るのだという。そういってみる、作者の表現者魂をひしひしと感じる。