そのあとはわれの鎖骨をこんこんと叩いてきみは眠るのだった

野口あや子『くびすじの欠片』(2009年)

 

互いしか知らぬジョークで笑い合うふたりに部屋を貸してください

封切った缶のドロップいつだって残る薄荷の話をしよう

スプーンにのった液体が何なのかわからないまま口をひらいた

青春の心拍として一粒のカシスドロップ白地図に置く

過去ばかり話す小石をポケットから出しておずおず言うさようなら

夏服で受け取ったメールアドレスの文字が今でも燃え出しそうだ

きっぱりと降りる初霜 わたくしの嫌うひとにも苦しみはある

 

野口あや子は1987年生まれ。『くびすじの欠片』は、22歳の年に上梓された最初の歌集。私が22歳だったのは30年も前のことだけれど、昨日のことのような、遠い昔のような。しかし、これらの作品は確かに入ってくる。

知らないことの清々しさ。若いということは、知らないということ。それは、とても清々しい。「きっぱりと降りる初霜 わたくしの嫌うひとにも苦しみはある」。そう、年を重ねれば、「苦しみはある」といえなくなってしまうのだ。

 

そのあとはわれの鎖骨をこんこんと叩いてきみは眠るのだった

 

5・7・5・7・7。いわゆる定型の、やわらかな一首。口語的、散文的な一首だが、二句に置かれた「われ」が、結句まで響きながら韻律を整えている。

「そのあとは」。代名詞で一首ははじまる。「その」が何を指すのかはわからない。「われの鎖骨をこんこんと叩いて」。具体が見えてくる。誰かが、あるいは何かが、〈私〉の鎖骨を叩く。鎖骨は折れやすい。しかし、抱きつくという所作を可能にしてくれている、大切な装置。そんなことを知っているのかどうか、きみはこんこんと叩いて、眠るのだ。

おそらく、性愛のあとの時間だろう。いや、違うかもしれない。おそらく、どちらでもいいのだ。〈私〉ときみが親しい時間を過ごしたということが大切なのだ。眠るきみを見ながら、〈私〉は穏やかにいる。

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