あなたとふ管の湿りをのせてくるこゑに纏はり恋ふ人われは

黒木三千代「鱧と水仙」第40号(2013年)

*「管」に「くだ」のルビ

 

あなたを恋うことは、あなたの声を恋うことである。好きな人や好きだった人の声を思い出して、あの声にはどんな湿りがのっていたっけ、と反芻したくなる歌だ。

 

〈あなたとふ/管の湿りを/のせてくる/こゑに纏はり/恋ふ人われは〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。歌はまず「あなたとふ管」と、あなたが一本の管であることをいう。そして、その管の湿り気をのせてくるのがあなたの声だという。「管」は「あなた」の全身であると共に、肺につながる気管でもあるだろう。上三句ぜんたいが「こゑ」を修飾するフレーズだ。その声に纏わり恋する人です〈わたし〉は、と結句は「~する人われは」の型を使う。

 

人間が一本の管であるとは、よくいわれることだ。短歌では、森岡貞香〈月のひかりにのどを濕してをりしかば人閒とはほそながき管のごとかり〉(『白蛾』1953年)が人口に膾炙している。黒木の一首も森岡の作を踏まえるだろう。かつて月光を浴び湿り気を帯びていた一本の管は、いまその湿り気を声にのせている。そんな想像に心を遊ばせたい。

 

黒木の書く歌はどれも、大人の歌だ。ものの見方をはじめ、ことば選びの確かさ、韻律コントロールの腕といったものに裏打ちされている。声の描写を眼目とするこの一首で、表現に奥行を与えているのが、三句「のせてくるこゑ」の「くる」だろう。凡手はこういうとき「のせてゐるこゑ」「のせたこゑ」などとやってしまう。「湿りをのせてくるこゑ」は、たとえば珈琲をのせてくるトレイ、のようなイメージを引き出す。こゑのトレイが湿りをのせてくるのだ。

 

四句「こゑに纏はり」の「纏」に作者のこだわりを感じる。見た目も意味も強い漢字だ。「こゑにまつはり」と仮名にひらかない。それでは作者は満足しない。「こゑに触れつつ」はおとなしすぎる。「こゑに絡まり恋ふ」ではK音が重なりすぎる。画数の多くてごちゃごちゃした「纏」をぽんと投入する。それが黒木の行き方だ。

一首は、「奈良博物館周辺」十五首の中に置かれる。つぎの歌が続く。

 

数日を粥に養ふ風邪ごゑに芯立ち上がり癒えてゆくひと

 

ことばのつながり方に無理がない。なめらかな仕上がりだ。「数日を養ふ」「粥に養ふ風邪ごゑ」「ごゑに芯立ち上がり」「芯立ち上がり癒えてゆく」。作者は、熟達の技巧家である。

 

この人が第一歌集『貴妃の脂』(1989年)で〈老いほけなば色情狂になりてやらむもはや素直に生きてやらむ〉と詠ってから、ほぼ二十五年が過ぎた。老いほけて色情狂になった黒木三千代の歌を待望する。

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