選挙あれば夫婦の顔してわたしたち幸せさうに投票へ行く

近藤かすみ 『雲ケ畑まで』(2012)

 

何年か一度の選挙の日、常には一緒に行動しない夫婦が「夫婦の顔をして」散歩でもするように投票へ行く。近所の人に会ったりするし、私の地域は子供の通った小学校が投票所なので子どもの小さい時のことなどをしみじみと思い出したりしながら行くのである。他人から見ればそれは「幸せそうな」夫婦の一場面に見える。 

 

『雲ケ畑まで』のなかの夫は仕事が忙しく、うちにあまり帰ってこない。「散髪のタイミングで来るきみだから呼んでみようか散髪婚と」というような歌もある。散髪のタイミングということは、せいぜい一ヶ月に一度ぐらいであろうか。それを激しく責めるような詠みぶりでもない。それにどちらの歌も口語ですらりと詠まれているから、寂しさもややコミカルにひびいてくる。

 

あなたにはほんの遊びに見ゆるらしわれの空虚を埋めるくさぐさ

職業欄に専業主婦と記すときふいに笑ひがこみあげて来る

 

女心の寂しさを詠みながらもどこか、ちくっと刺すようなところが近藤かすみの歌にはある。そこに何故か私はほっとしてしまう。寂しさを詠っても寂しさに負けてはいない。相手の気持ちの裏側まで本当はわかっているのかもしれない。

 

白日傘さして私を捨てにゆく とつぴんぱらりと雲ケ畑まで

 

オノマトペのおもしろい一首。「とっぴんぱらりのぷう」は「全部はらっておしまいおしまい」と民話などの結文に出てくる言葉のようだ。この歌のようにきっと、近藤は自分を捨てに行くのがうまいのだろう。捨てることにより新しい自分になってまた戻ってくるのだ。雲ケ畑は京都の北の方の地名。まだ行ったことのない私には、あこがれの地名となった。