しみじみとけふ降る雨はきさらぎの春のはじめの雨にあらずや

若山牧水『くろ土』(1921年)

 

若山牧水(1885~1928年)には15冊の歌集がある。多くの人が愛唱する「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」は、牧水23歳、若き日の作である。その後44歳で亡くなるまでに、生涯およそ七千の歌を残している。

『くろ土』は第13歌集、1921(大正10)年、38歳の刊行。牧水壮年期、自作に強い自信を持っていた。

そしてこの歌、良い歌だ。そう思わないだろうか。特にむずかしいことを言っているわけではない。今日降っているこの雨は、寒く細かく降る、まるで心に沁みるように。だから「しみじみと」。そして今日は如月、旧暦二月、春のはじめの雨ではないか。ああ、春が近づいている。

それだけのことだ。それだけのことだが、寒かった冬から春への季節の推移が、それこそしみじみと感じられないだろうか。この調べのなめらかさ、牧水の歌は朗誦されることが多いのだが、ぜひ声に出して読んでほしい。

実は、私は牧水のけっして良い読者ではない。短歌をつくりはじめた頃にひととおり読みはしたが、それ以上ではない。この歌も、前に紹介した大西巨人のアンソロジー『春秋の花』(光文社文庫)に見出して、あらためて見直したものである。

大西の軍隊時代、「東京帝大出」一等兵が同年兵にいた。その一等兵を同じ一等兵である大西は、「人間的にも学芸的にも正当に軽蔑していた」という。その一等兵が二月初旬の雨の一日、この一首をさも自作の歌のようにくちずさむと、「どうかね、この歌は。」と問うた。大西は、「ふぅむ。お前にしては、恐ろしゅう上出来だなぁ」と「心中ほとんど驚嘆して」答えた。三、四呼吸ののち、彼は、にやにやしながら、「こりゃ、牧水の歌だよ。」と言ったという。この歌を知ったときのエピソードである。

二人の問答がこれだけで一編の小説のごとき面白さであるが、この歌を「恐ろしゅう上出来」と答えた大西も、また彼の嫌らしい帝大出一等兵も、「恐ろしゅう上出来」の鑑賞眼を持っていたということであろう。