現役を退(ひ)いていながら役職の順につづきぬ焼香の列

小高賢『長夜集』(2010)

 

仕事関係のひとの葬儀に参列している場面である。故人の死を悼み焼香をする時でさえ男たちは自然に現役時代の役職の高い順に並んでいるのだ。もちろん、小高もこの列のなかにいるのだろう。退職してからも序列がしっかりと身体のなかに染み付いているのが哀しい。事実だけを淡々と表しているが、「現役」や「役職」という語がきいていて、体言止めでかっちりと終わるところも一首を印象的にしている。こういったサラリーマンの悲哀をさりげなく詠むのが小高はうまいが、人間というものをよく見ていて、家族を詠んだ歌にもそれが表れている。

 

母がその生(いのち)焉りし病院を自転車は避け道曲りたる

色合いがとなりの墓の花よりもよきこと妻の今日のよろこび

平凡で普通がいいとくりかえしいうわが子なりそれもかなしい

 

一首目はよく伝わってくる作品だ。母は亡くなってこの世にいないけれど、母の死後もそこに建っている病院。その場所を通ることをまず身体が拒否してしまう。また二首目は墓参りの歌だが、隣の墓の供花と比べて、自分の家の方が色合いがよかったことに喜んでいる妻。ささやかな妻の喜びを見守る作者の視線を感じる。

三首目は、高い理想や欲を持たず、普通の暮らしがいいと言う子供を嘆いている。現代はこういう考えの若者は確かに増えているように思うが、父親としてはやはり口惜しさがある。

 

小高の目線は、男性でありながら、家族の細かな部分までバランスよくいつも行き届いていて、読んでいてほっとさせられる所がある。

 

妻居らぬ夕べの食事納豆をただやみくもにかき回したり

 

そのような視線は、老いてゆく自分にもしっかりと向けられこのような切ない歌もある。