春畠に菜の葉荒びしほど過ぎて、おもかげに 師をさびしまむとす

折口春洋『鵠が音』(1953年)

 もう一首、折口春洋の歌を紹介しておこう。

春洋の歌は、迢空の指導に従いながら独自の世界をひらいている。迢空の指導は、表現技術の教示に終わらない。短歌の創作によって、作者の内的成長を促しながら、迢空の志す新しい生活論理を全人的に浸透させてゆく営為であった。そうした強い影響力に反発したり、脱落するものも多かったようだが、春洋は迢空の教えを受け止めたうえで、自分の個性を発揮した歌を示していた。叙景歌の多い歌集を読むと迢空短歌の世界を継承しながら、迢空歌の持つ激しさにくらべて、ひっそりと静かな世界が展開される。

 

昼時に 働き人の去(イ)にしより、山は、そよぎの音 澄みて来ぬ

伊良子崎 目下にとよむ波の音の すみゆく時を、惜しみゐるなり

 

短歌に関心を持ちはじめた頃、この抑制の効いた叙景、ひかえめな抒情の歌を学ぶように、岡野弘彦は私たちに示唆したものだった。私は岡野弘彦を師とする。岡野の指導は、迢空とは違って強引なものではなかったが、力量に応じて機会を捉えた指摘や示唆があり、いつのまにか頑なで幼い自我がほどけ、心の自由を自覚させ、内的成長を促すものであった。

迢空の厳しい指導に耐えた春洋は、師の迢空の同行者であり、迢空を支えた。召集によって春洋を失った迢空の寂しさや無力感はいかばかりであったろう。

ここに掲げたこの一首は、昭和19(1944)年の春、金沢の連隊に春洋を訪ねた迢空に別れた後の歌である。

 

東に 雪をかうぶる山なみの はろけき見れば、帰りたまへり

つゝましく 面わやつれてゐたまへば、さびしき日々の 思ほゆるかも

 

抑制された感情が春洋のものだ。その後、硫黄島へ出航する直前わずかの時間をこの師弟、いや思い人どうしは最後の時を持つ。迢空はその夜を回想して激しい悲しみの歌を残すのだが、春洋の迢空を思うこの歌とくらべてみるとその違いが分かる。

 

かたくなに 子を愛(メ)で痴(シ)れて、みどり子の如くするなり。歩兵士官を

大君の伴の荒夫の髄(スネ)こぶら つかみ摩(ナ)でつゝ 涕ながれぬ

 

これが迢空の歌である。