いつにても顔の高さに海音のありて明るし寂し療園

太田正一『風光る』1980

 

太田正一は幼少時にハンセン病を発病し長島愛生園に入園した。病による壮絶な顔面神経痛から盲目となり文字を読む手段は舌読しかなかった。そのような逆境のなかで歌を詠み、この歌集は作者が61歳の時に出版された。ハンセン病についての知識があまり私にはなく、この一冊は衝撃であったが生きることを深く考えさせられる歌集だった。

 

あとがきの一文に、「私は常に逆境の中で生きてきたため、いつでも零の原点にたち返ることができました。」とある。これは病状が落ち着いてきた頃に結核にかかった時の太田の心境である。静かな強さに私は素直に心打たれた。

 

さて、冒頭の一首、目の見えない作者が毎日、海の音を顔の高さに感じているというところが体感として自然と伝わってくる。「愛生園」は瀬戸内海の中の島にあり作者は常にそのおだやかな海の響きを身体に感じ、光をそこにもとめていたのだろう。同時に家族にも会えず一生を島の療園で暮らしていくことの寂しさもあったのだ。

 

白杖の予備あることが今日をあるわが生活のゆたけさにして

縁に来て足音鳴らす雀らよ見ゆる眼あるを当然とせる

見えぬ眼の疼み鼓動と合致せり生きのかぎりを苦しめとごと

罪と罰三十時間のテープ図書左に提ぐれば左に(かし)

 

盲目であることをある時は静かに耐え、あるときは叫びのように苦しみを詠んでいる。一首目のつつましやかな「ゆたけさ」、二首目では雀ですら見えている眼があるということに対する羨望、三首目は下の句に抑えようとしても抑え切れない感情がある。四首目では『罪と罰』という長編小説を耳で読もうと大量のテープを借りて重さに傾いている作者がいる。

 

この歌集には小さな紙が挟まれていた。それは刊行に携わった高安国世の文章とともに、「感想や批評は録音テープに吹き込んで著者に進呈します」と読者の批評をもとめるものであった。歌集出版後、批評や感想を眼で読むことのできない太田へ届けるための配慮であった。