春の雨こおろこおろと降り来れば石蕗の薹たけてしまいぬ

玉井清弘『屋嶋』(2013年)

 『屋嶋』は、玉井清弘の第八歌集になる。白村江の戦に敗れた日本が国内防備に山城をいくつか築いた。その一つ屋嶋城(やしまのき)から『屋嶋』は歌集名に採用された。今の地名は「屋島」、源平の古戦場でもあり、なにより玉井は屋島を望見する地に三十年住まいする。つまり玉井清弘の拠点にほかならない。

玉井は、四国八十八か所の遍路を体験して、四国への思いをより強いものにしている。この歌集においても、四国をうたって印象深いものがある。

 

黒沢(くろぞう)の葦のしげりてくらみたる四国の陰(ほと)のゆがみひらけり

あの匂い何かと遍路に問われたり四国をつつむ魔訶(まか)なる匂い

青垣の山ごもりたる伊予の野を引き締めにつつ霜降るころか

寒気団にわかにくだり新雪は菩提のくににきらめきを置く

わらぐろの言葉ぬくとく残る国伊予は冬へと足踏みをする

 

たちどころにこのような歌が並ぶ。黒沢(くろぞう)は、徳島県の祖谷渓に近い黒沢湿原である。四国をつつむ魔訶なる匂いとは、いかなる匂いか。遍路の焚く香であろうか。大いなる匂い――。そして四国を菩提のくにと呼ぶ。「わらぐろ」は、刈り取った稲藁を野積みしたものを言う。稲叢、いなむらのことだ。

いづれも四国讃歌、玉井が、四国に腰を据えて歌っていることがよくわかる。

今日のこの一首は、歌集の冒頭に置かれている。おおらかに春の訪れを告げる歌である。こおろこおろは、神話にイザナキとイザナミが天の浮橋から天の沼矛(ぬほこ)によって海水を掻き回す。その時の音がコオロコオロであった。その矛から滴り落ち、積り凝り生まれたのが、国生み、神産みの拠点となるおのごろ島だ。そうした生成の意味合いも含んで春の雨が降る。そのあたたかさに石蕗(つわぶき)の花茎も伸びきってしまうではないか。早い春の訪れをおおらかな調べが気持ちよく伝えてくれる。良い歌だ。