除染とて地の面までも剥がれつつ見る見る町が無くなりそうな

波汐國芳『渚のピアノ』(2014)

 

作者はいわき市出身の歌人。この歌集は東日本大震災の原発事故に焦点を絞り構成されている。歌集の中で「福島」「原発」「セシウム」「被爆」といった言葉が多く使われている。報道で知るだけだが、現在も除染作業は続き、屋根瓦を一枚一枚拭いたり、表土を剥ぎ取ったりそれでも数値が変わらない時は新しい土で覆ったりと地道な作業が続いている。作者にとって故郷の大地が無残にも剥がされていくことは辛く、いつか町全体が無くなってしまうような不安におそわれている。報道の除染作業を見ている私には、ただ単純に放射性物質が町からなくなり、再び住めるようになってほしいという願いしかなかったが、この一首を読んではっとさせられた。

 

被曝苦を超えんとしつつ吹雪くなか我の走れば並木も付き来

被曝地の果実は買わぬ()まぬとう人ら(しき)りに頑張れを言う

朝の菊 霜浴びたるを(かか)えくるセシウム抱えきたる妻はや

被曝地のローカルバスに峠越ゆひとりの客のわれと夕陽と

五輪招致に人ら沸き立ちゆく中をずんずん沈む被災の心

かさこそと鳴るは降り積むセシウムの翅の音かと庭に目をやる

 

どの歌もわかりやすく、率直に詠まれている。一首目には「被曝苦」という言葉がある。被曝による精神的な苦悩を作者は毎日越えようとしている。「ローカルバス」の歌は何気ない歌だが、誰も訪れることのなくなった土地の様子が伝わってくる。震災以前、いわき市は東北の中では仙台に次いで2位の観光地だったという。

引きたい歌は多くある。作者の中には怒りや失意があふれ、それでも何度も希望のある方へ気持ちを向けようとしている。繰り返し繰り返し、故郷を返してほしいという気持ちを歌うが、本当にこれくらい繰り返して詠まないと、年月が経っていくうちに届きにくくなっていることが多くあるのではないかと思う。