信濃路に帰り来たりてうれしけれ黄に透りたる漬菜の色は

島木赤彦『柹蔭集』(1926年)

*透に「とほ」、漬菜に「つけな」のルビ。

 

1926(大正15)年1月、島木赤彦の胃癌が確認される。大正期のアララギの中心歌人として鍛錬道を主唱、写生を徹底した赤彦は、信州諏訪に帰郷、養生に最後の時を過ごす。それから没するまでの数ヶ月の歌には、「二月十三日帰国昼夜痛みて呻吟す。肉瘠せに瘠せ骨たちにたつ」という病の苛烈な進行状況を示す詞書も見える。しかし、そこに歌われた短歌は、いのちを凝視してすぐれたものばかりである。

 

隣室に書(ふみ)よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり

信濃路はいつ春にならん夕づく日入りてしまらく黄なる空のいろ

 

絶唱とも言える歌だ。そして最後の作、

 

我が家の犬はいづこにゆきぬらむ今宵も思ひいでて眠れる

 

最初「猫」として「ちがった。ちがった。猫じゃない。犬だわ」と言って笑ったという逸話を茂吉が伝えている。3月21日、亡くなる6日前のことだ。

いずれもよく知られた歌であるが、紹介したのは信州に戻った安堵を漬菜に寄せた一首である。漬菜、つまり漬物にされた青菜、信州では野沢菜が著名だ。

私の妻の実家は北信濃の寺院なのだが、帰郷すればいつでも居間の卓上、また応接間の机上に、お茶請けとして義母の手になる野沢菜漬けが用意されている。そしてこれが実に美味い。浅漬けのまだ緑鮮やかなものも歯応えがたまらないが、よく漬かって飴色に透いたものもこれは美味だ。家ごとに味に微妙な差があるが、手作りの母の味、郷土の味である。そしてこれは特別なことではない。漬菜も長野県だけでもないだろうが、信州の野沢菜漬けはまた格別である。赤彦のこの歌の漬菜も、久保田家オリジナルのものであろう。ちなみに私は、漬かりの浅い歯ごたえのある野沢菜漬けが好みである。

釈迢空は、この歌の下句に、「郷土に対する愛執と、安息との外に、赤彦の整頓し、陶冶せられた生活興味――都会の『通』に似た鑑賞法――が窺はれて、私には限りない懐かしみがある」(「赤彦の成迹」)と好意的な評価をしている。ただ「作物としては『人任せ』の思はせぶりがある」、赤彦が生きていれば、「ほんたうに心ゆく歌にする時があつたらう」と惜しむのであった。

この評価を読み解き理想の表現がどうあるか考えてみることは、たいせつなことであろうが、今のところ私にはまだ解けていない。ただ、この「黄に透りたる漬菜の色」の魅力は充分に価値が感じられる。そして今日は、88年前に赤彦が亡くなった日である。