銀のビーズつなぎてゐたる雪の夜の初潮のごとく死はふいにくる

岡部由紀子『父の独楽』(2014)

 

『父の独楽』は2012年に亡くなった岡部桂一郎の妻である岡部由紀子の第一歌集である。短歌において比喩は遠いふたつのものをつないで、そこから新しいエネルギーを爆発させるような表現であるが、この一首の比喩には驚いてしまった。作者は死を意識している。「死」は一回きりであれば、女性にとって「初潮」も一回きりのものである。死は血流をとめ何もかも終らせてしまうものであるが、初潮は出血し、妊娠、出産ができる体への準備が始まったことを知らせる。相反する二つのものがどこかで繫がっている。死も初潮も身体にいつ訪れるかわからない。しかし、いつかふいうちにそれは訪れるのである。

 

この歌のような独自の死生観を詠んだ歌もあれば、次のような歌もある。

 

台所の角に吊られし蠅叩き お前はなんと淋しい名前

歯の欠けし口中に噛む烏賊の足しだいに何か悲しくなりぬ

ヘチマコロン掌くぼにたらし首叩く誰も気づいてくれぬ喜寿の日

 

飄々と生活を詠い生きている作者が感じられる。

一首目は「蠅叩き」としか呼んでもらえないようなものに心を寄せる作者がいる。台所の隅に吊られている蠅叩きというのも、昭和の生活の懐かしい場面である。二首目は欠けてしまった歯でもそもそと烏賊を噛んでいる。以前のようにはうまく咀嚼できないのかもしれない。少しの不自由な感覚がだんだんと作者を哀しくさせる。三首目は喜寿の誕生日を迎えた作者だが、誰にも気づいてもらえない。気落ちしつつも「ヘチマコロン」をはたいている作者にはどこか明るさや可愛らしさがある。

 

とろろ汁好きでしたねえ霜の夜の膳に並べる一碗の汁

 

岡部桂一郎への挽歌も話しかけるように詠まれている。「岩国の一膳飯屋の扇風機まわりておるかわれは行かぬを」(『戸塚閑吟集』)を思い出させる。