白玉の美蕃登をもちて少女子は夜咲く花の嘆きするらむ

三浦義一『悲天』(1953年)

*美蕃登に「みほと」、少女子に「をとめご」のルビ。

 

三浦義一という名前を知る人も少ないだろう。勿論、歌人ではない。戦後の政財界の「黒幕」と言われる人物だ。日本の黒幕というと児玉誉士夫や笹川良一が知られているが、敗戦後の占領下以来、三浦義一はもっとも力のある黒幕であったらしい。『日本の右翼』や『やくざと日本人』の著作を持つ猪野健治の最新刊『やくざ・右翼取材事始』(平凡社2014年)は、その三浦の黒幕ぶりを語って、なかなかに興味深い。

三浦は戦後いちはやくGHQとの関係をつくり、政財界の裏面で活動、大きな影響力を示した。日本橋室町に事務所を構えていたことから「室町将軍」と呼ばれた。

G2と呼ばれる占領軍の一部とのつながりを生かした、保守政治家や財界への影響、とりわけ昭電事件の裏面工作が三浦の力をより強いものにしたらしい。

と書きながら、まるで小説かドラマの世界のようで、私などにはかかわりのない話ではある。ただ、猪野が書いているように三浦は「わしが生きているうちはわしのことは書かせない」と口癖のように言っていたそうだ。そのせいだろうか、三浦に関する情報にまとまったものがない。広範な取材による評価がなされてよい人物であろう。昭和の歴史をその暗部を含めて明らかにするために、評伝のようなものが書かれることを期待している。

強面の反面というか、意外に思われるのだが、三浦義一は本格的な短歌の作者でもあった。自称、北原白秋の門下という。しかし確かな裏づけはない。ただ、三浦の父親は大分市長をつとめた三浦数平であり、それなりの生い立ちを想像することはできるから、同じ九州の白秋の短歌への親しみも了解できないではない。

そして、その力量のほども歌集に一目瞭然、たしかなものである。余技などでは決してないことが分かる。

 

ひさびさに天城のやまをあふぎけりしづかなるかもこの冬山は

生きがたき世になほ生きて秋の夜の寒き時雨に逢ひにけるかも

ほねなしのくらげのごとき官(つかさ)らと喪家の犬に似たる民らと

山の樹を押しかたむけて吹きすぐる昼の嵐をしづかに見むとす

柿の葉のちりばふごとく死にゆきし兵をおもひて夜半(よは)にねむらず

 

三浦義一の短歌のほぼ全てを収めた『悲天』には、このような歌が並ぶ。どうだろう。古くさい歌柄かもしれないが、決して趣味の範疇ではあるまい。白秋の美意識とは異なるが、短歌を学んだというのもうべなるかな。

そして、今日のこの一首。「幽情」と題する一連より。幽は、かすか/くらい、つまり深い心情、情思。恋情であり、男女の交情を歌う。エロス、もっと端的に言えばセックスを歌う。勿論、例がないわけではない。今際の妻との交情をうたった吉野秀雄などの例もあるが、三浦のこの一連はほのぼのとした女性讃美である。

政治面での強面のいっぽうで、このような明るいセックス讃歌は、ちょっと楽しくなる。三浦の評伝を書くものがあれば、このような短歌作品をつくる一面も、ぜひ紹介してもらいたいものである。