深山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり

源 頼政『詞花和歌集』(1151年頃)

*深山木に「みやまぎ」のルビ。

 源頼政は、平治の乱に、源氏としては一人だけ平清盛方につき、従三位に叙された。それ以前、白河院、鳥羽院に近侍、崇徳院にも奉仕、保元の乱で後白河天皇方について勝利、二条、六条、高倉天皇に仕えた。平家が全盛を迎える中、清盛に厚く信頼されていたが、治承4(1177)年、77歳の時に以仁王(もちひとおう)を奉じて挙兵、宇治橋の戦いに敗れ、平等院に自害する。

『平家物語』のヒーローの一人である。宮中を襲う鵺(ぬえ)を退治したとのエピソードを持つ、この古武士然とした武将が、私は好きだ。『平家物語』巻四「宮御最期」には、宇治川のほとりで左膝頭を討たれ、重傷を負った頼政は、平等院に退いて、大声で南無阿弥陀仏の名号を十回唱え、そして辞世の一首を詠んだ後、自害したと伝える。その辞世は、次の一首だ。

 

埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける

 

頼政は、すぐれた武将であるとともに和歌にもすぐれた才を示した。この辞世は、頼政自身の作ではないようだが、優れた和歌が残っている。

今日のこの一首は、『平家物語』に近衛天皇の御感にあずかったと言い、叡山の大衆もその逸話に強訴を諦めたと伝えるように、頼政の人生をこの歌に読みとる解き方も広まっているが、ここでは単純に一首を味わおう。

山の奥に、それが桜の梢だとは見分けられなかったが、花が咲いた今は、まざまざと桜だと分かる、きわだった美しさに現れたことだ。深山にきわだつ桜が、美しく目に浮かぶではないか。そして、奥山の花の美を見逃がさない頼政の確かな骨格を持ったこの歌の文体に私は感嘆する。なるほど武将頼政の歌だ。