わが顔に夜空の星のごときもの老人斑を悲しまず見よ

佐藤佐太郎『天眼』(1979)

 

『天眼』は佐藤佐太郎の第十一歌集。70歳の時に出版し、佐藤佐太郎墨筆集『天眼抄』というものも同年に出している。66歳の時に脳血栓で入院をした佐太郎は、それでも随筆集や全歌集をまとめ、『茂吉秀歌』を書き、勢力的に執筆していた。冒頭の一首には詞書がついていて「片山摂三氏撮影の自照に題す」とある。「自照」というのは自分自身を客観的に冷静に見ることで、佐太郎は常にそのような歌人であったと思うが、プロの写真家に撮ってもらった自分の顔をまじまじと見たときに、老人性の染みがいくつもあった。それを「夜空の星のごときもの」と表している。

「悲しまず見よ」というところは老いを確認した自分に言っているのだろう。「星」をもってきたところに単純な老いの嘆きに終らず爽やかな感じさえする。ちなみにこの写真は『佐藤佐太郎全歌集』の扉の白黒の写真と思われる。よく見ると左側のでこから頬にかけて点々と小さな染みがちらばっているのが見える。

顔の歌にはこんな歌もある。

 

わが顔の酒糟鼻(しゆさうび)といふ特徴がいつとしもなく消滅しをり

 

「酒糟鼻」は酒を飲むことによって鼻が赤くなる症状だ。この歌集の中で、佐太郎は禁煙と禁酒を始めている。禁酒によって長年の顔の酒糟鼻が知らない間に消えていたのだ。

 

禁煙の第一日は可も不可もなき一束(ひとたば)の過去となりたり

酒などを断ちつつをればやうやくにうちのほむらも消えんとぞする

 

一首目は禁煙を始めた一日目の心境。おそらく時間が長く感じられたのだろう。その一日を「一束の過去」と表す。二首目は禁酒をしながら気持ちの変化に気付いている。長い間、もやもやと燃えていた胸の裡の何かが、酒を絶つことによりすっと消えた。今までにない清しい精神状態が訪れたのであろう。

このような私的な日常の場面も、時間感覚や精神性をじっくりと表すことによりただの日常詠で終ってしまわない所が佐太郎の表現技術だと思う。