沈み果つる入日の際にあらはれぬ霞める山のなほ奥の峰

京極為兼『風雅和歌集』春上27(1346~9年)

*際に「きは」のルビ。

 

伏見院の周囲に集う、新しい和歌を詠む集団を「京極派」といい、その人びとに詠まれた和歌を「京極派和歌」と呼ぶ。伏見院や永福門院の夕景の歌を以前紹介したことがある。その京極派の中心になったのが京極為兼(1254~1332)である。

略伝をみるとなかなかに波乱の人生である。春宮時代の伏見院に出仕、その文学サロンの中心になり、伏見院に『為兼卿和歌抄』を奉り、京極派を形成する。政治的にも辣腕をふるい、讒言による二度の配流にあっている。一度目は佐渡、二度目は土佐であった。

京極派和歌の特徴は、叙景歌と「心」の重視である。ただ和歌の流れからは異端と遇されてきた。折口信夫(釈迢空)や土岐善麿によって、あらためて評価されるようになった。

この一首は、京極派和歌の代表的な歌としてあげられる。ここにえがかれている景色を、ゆっくり読み取ってほしい。

日は沈みきっているが、その最後の余光が消えようとする、その一瞬の時になって、思いがけず、霞んで見える山やまの、そのずっと奥にある今まで見えていなかった峰があらわれてきた。

この一瞬に深い山のつらなりの奥行きをとらえた、この眼差しは、あたかも科学者が微細な事実をとらえるように働いて、われわれを驚かす。山々連なるところへ日が落ちてゆくと、そのわずかな時の移ろいのあいだに、近い山から遠い山へ、光が残る部分が移動して、今まで見えなかった奥の山が見えてくることがある。

夕暮れ時の、予想外の光景を、鋭い観察力をもって捉えるのが、京極派和歌の一つの特徴である。この歌は、その典型と言える。

波の上に映る夕日の影はあれど遠つ小島は色暮れにけり

 

同じく為兼の夕暮れ時の、予想外の光景を、鋭い観察力に捉えた歌だ。海の向こうへ日が沈んでゆく。その赤き日の光り。一方で遠くに見える島は暮色につつまれ、黒いシルエットになっている。明と暗の対比である。