かげろうの卵にも似て街灯はわれらの帰る場所へつづけり

安藤美保『水の粒子』(1992)

 

「彗星のごとく現れて・・・」という表現があるが安藤美保という歌人はまさにそのように現れ、また彗星のようにこの世から去っていった。歌集のタイトルとなった「君の眼に見られいるとき(わたくし)はこまかき水の粒子に還る」や「投げられて空からおちてくるまでの(はな)(かご)のような生を思えり」といった甘美な青春性をまとい、高らかに詠まれた歌に眩しさをおぼえた。

しかしあらためて『水の粒子』を読み返してみると、そのような歌ばかりではなかった。冒頭の歌も不思議なイメージのある一首である。「かげろうの卵」は「優曇華」のことであろう。私も見たことがあるが、神秘的なこよりのような形の卵でそれを見つけると縁起がいいと聞いたことがある。街灯の形がかげろうの卵に似ているというのは、ぱっと見えてきてよくわかる表現である。それぞれの帰っていく家路に続く街灯ということなのだろう。

 

大系全集全書集成それぞれを愛犬のごとかかえてきたる

窓を開け風に頭を突き出せば研究室とは浮遊する巣

 

国文学科生としての歌も多くあった。年譜によるとお茶の水女子大学大学院で藤原良経を研究していたという。一首目は図書館での様子だろうか。古典関係の分厚い本をそれぞれが抱えて歩いている。大切な本を「愛犬のごとく」と喩えていて面白い。二首目は研究室の窓から頭を出して風に当たっている。研究室とは学問をするかっちりとした場所であるはずだが、風に当たって気持ちを切り替えていると、いつもの部屋が「浮遊する巣」のように思えてきたという。

 

私の家から毎日、比叡山が見えるが、安藤は24歳の夏、大学院の研究旅行の途中、比叡山の急斜面で転落しその夜に亡くなった。私も大学時代、国文科の教授と比叡山を登ったことがあるので本当に驚いた。

 

緻密に緻密にかさねて論はつくられぬ崩されたくなく眼をつむりおり

 

こういう歌もある。研究論文のことを言っているのだ。膨大な資料と考察をもとに論を作りあげていく様子と精神状態が伝わってくる。志半ばで命を落としてしまった安藤の横顔が歌の中にはそのまま残っている。