前登志夫『縄文記』(1977年)
前登志夫にとって朴の木は、まるで魔法の木のごとくさまざまに歌われる。ちなみに全歌集の初句索引を探ると「朴」に関する歌は20首を超す。二句以降を探れば、もっと沢山の朴にかんする歌があるだろう。
朴はかなり高く伸びる。葉の大きさにも特色があり、白色の花も印象的だ。前は、その朴を好んで歌った。『森の時間』に、「朴落葉この上に前登志夫住む」という右城暮石(うしろぼせき)の句への言及がある吉野の前が住み暮らした谷の朴の木であろう。柿の葉寿司ならぬ塩鯖を朴の葉に包んだ朴葉鮓は、ハレの日に欠かせず、また村の豆腐屋は、昔、手作りのかたい豆腐を朴の葉にくるんで渡したとも前は回想している。日常にも非日常にも、朴は欠かせなかったことになる。
朴の花たかだかと咲くまひるまをみなかみにさびし高見の山は 『靈異記』
朴の葉をとりてかへらむ夕やみに朴の廣葉は漂ひて落つ 『縄文紀』
朴の木にのぼりて朴の廣葉捥ぐ怒りの夏を葉はひるがへる 『樹下集』
朴の花匂へる夜半を明るめば夜の手力(たぢから)をわれに給はな 同
朴の葉の散りつくしたるこの朝明(あさけ)山の日差しの明るむを待つ 『鳥獣蟲魚』
朴の葉に山繭盛りて祀りけり死支度など忘れて久し 『流転』
朴の葉の鮨を作りて鮨桶に詰め込みをれば柩のごとし 『鳥総立』
朴若葉眺めてをればひらひらと羽生えてくるさびしき五體 『落人の家』
朴若葉ひるがへし吹く若葉風彌陀来迎の和讃稱ふる 『大空の干瀬』
朴の葉に塩鯖の鮨包みけむ皐月のひとはよく笑ふ木木 『野生の聲』
しつこいけれども、こんなふうに前は朴を歌ってきた。ほぼ全ての歌集に及んでいるから、その重要なことが分かるだろう。なかでも今日の一首に取り上げたのは、朴の芽吹き時、その木の下に佇みひそかに息する自分をかさねて「春の山びと」と称する。そう吉野に住み暮らした前登志夫は「春の山びと」であった。
山人にかんしては、遊動的狩猟採集民の存在を探りつづけた柳田国男の思想の可能性を問うて、柄谷行人が問題にしている(『遊動論 柳田国男と山人』文春文庫)。柄谷は、そこで「国家に抗する」タイプの遊動民=山人の可能性に言及する。柳田は、山人の存在を唱えて嘲笑されたが、定住農民(常民)に焦点を移しつつ、山人の可能性を執拗に追求したという。稲作農民以前の、決して日本に限定されない未来の可能性を柳田は追求したと柄谷は断じた。この追求は興味深い。前の自由さも山人的なものだ。その山人=前登志夫が歌う朴の木、この一首にはその希望の明るさがある。