大川にあと白浪の春立ちて名探偵もねぶたかりけり

福永武彦『夢百首 雑百首』(1977)

 

福永武彦に歌集があることを同じ「塔」の溝川さんという方に教えてもらった。私が手に入れたのは1977年出版の普及版で文庫本のサイズだが、小さな函つきである。表紙には福永武彦が描いたカヤツリグサの絵があり、この絵が私はとても好きだ。福永武彦は『草の花』などで知られた小説家であり、詩人、フランス文学者でもある。また作家池澤夏樹の父でもある。

この一冊は、前半は「夢百首」後半が「雑百首」となっていて「雑百首」には短歌の他に俳句や律詩なども入っている。冒頭の一首には「完全犯罪」という詞書がついている。福永武彦は「加田怜太郎」という名前(このペンネームもアナグラムになっているらしい)で推理小説を書いていたので「名探偵」というのは小説のなかの人物なのだ。(調べると『完全犯罪』というタイトルの推理小説も発表している。)

下の句のとぼけた感じが味わい深い。上の句はしっかりと写実の表現があり、季節も入っている。上句と下句の取り合わせも面白い一首である。難事件を解決する名探偵も、春の日に川の波立ちを見ながら心をゆるめまどろんでいる。

 

遠く近くキャベツ畑に残りたる斑雪(はだれ)を見つつ吾病みにけり

眼に沁みる桔梗(きちかう)の花を壜に挿し枕べに置きて見つつ眠れり

 

胃を病んでいる歌がいくつかあり、一首目も病人の心もとなさがよく出ている。この歌も写実が行き届いた一首ではなかろうか。結句に「吾」を登場させしっかりと終わっている。二首目は福永の「玩草亭百花譜」を思い起こさせるような一首。「玩草亭百花譜」は花の絵に文章の添えられた画文集であるが、絵も文章もさりげないタッチで好きな本である。この歌は桔梗の花の色の美しさとそれを愛でている作者の様子が伝わってくる。

 

みんみんや血の気なき身を貫徹す

 

病の身を詠んでいる一句。俳句ではこのような激しい表現もあり印象的だった。