過去形を使った文を作らせて母の亡きこといまさらに知る

大松達知『ゆりかごのうた』(2014)

 

作者は男子中学・高校の英語教師である。この一首は授業中の場面だろうか。動詞の過去形を使って簡単な英文を作らせているとき、一人の生徒が母を亡くしたということを英文にしたのだ。問題としての解答としての文章から、一人の生徒の人生を知ることとなった。他の生徒が、昨日何を食べたなどとあたりさわりのない文章を作っているとき、この生徒の過去にはまず、母の死があったのだ。多くの子供たちに出会い卒業させていく教師という仕事の重みを感じる。

 

教員歌人が歌人教員へ戻りゆくあしたの道に公孫樹みあげて

 

このような歌もある。二つの職業についているような毎日。教師をしながら歌のことを考えているときもあるだろうし、家で歌をつくりながら生徒のことを考えているときもあるだろう。そのせめぎ合いのなかでバランスを保とうとしている作者が見える。

 

焙じ茶の缶をひたすら振る子かなそこに花野が見えるらしくて

サンマ食へばサンマの頭残りたり二親(ふたおや)ありきこのサンマにも

ベビーカーをりをり止めて顔を見る生きてゐるわれが生きてゐる子の

 

2012年、大松には長女が生まれこの歌集にも出産をはじめ、子育ての様子が細やかに生き生きと詠われている。一首目は焙じ茶の缶を振って遊んでいる子の様子。身の周りのものを何でもおもちゃにして楽しんでいる様子がある。「そこに花野が見えるらしくて」は少し幻想的で自分の世界に入っている子供の様子がある。二首目の歌にはなるほどと思った。私は魚を食べながらそんな風に思ったことがなかった。子供を授かったことにより大松の眼は生き物の命を強く意識するようになっている。三首目にもそのような眼がある。ベビーカーを押して散歩しながら、時々子供の様子を見ている。まだ言葉の通じない赤ちゃんだが、そこには輝かしい命がある。その命を守る父親として大松にも命がある。下の句に力強さを感じた。

 

ハケもちてお好み焼きにタレを塗り四十歳を祝ひたりけり

 

本歌取りの歌。こうして読むと時間の過ぎて行く早さを感じる。本歌の作者も苦笑いをして読んでいた。