橘 曙覧『志濃夫廼歌集』(1878年)
良寛に次いで近世末期の歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)の歌を。
曙覧は、正岡子規によって万葉調の歌人として評価された。折口信夫も、近世歌人においては第一と評する。国学や短歌に楽しみを持っていたが、生活は苦しいものであったようだ。
初句「たのしみは」ではじまり、「とき」で結ぶ「独楽吟」52首が有名である。いくつか貧を感じさせるものを引いてみよう。
たのしみは あき米櫃(こめびつ)に米いでき今一月はよしといふ とき
たのしみは まれに魚烹(に)て児等皆がうましうましといひて食ふ とき
たのしみは 銭なくなりてわびをるに人の来たりて銭くれし とき
たのしみは ほしかりし物銭ぶくろうちかたぶけてかひえたる とき
こんな調子である。ただ貧しさを嘆くわけではない。生活の苦しさを楽しむ心の余裕が、このユーモアあふれる一連を貫いている。ユーモアとは字義通り人間らしいということだ。日々の家族との暮らし、書物を読み、学問に励む楽しみが、あれこれと歌われる。
掲出歌は、「すくすく」成長する山の畑の麦の穂に腹を擦るように低く燕が飛び交う。初夏の田園風景である。「春よみける歌の中に」と詞書にある。曙覧は、自然を素直に歌った。
『橘曙覧全歌集』(岩波文庫・1999年)には、1258首の歌が収録されている。江戸時代末期の国学者らしく、題詠がほとんどに思われるが、歴史上の人物――楠木正成のような尊王の武将を詠んだ歌などもある。そして、稀にではあるのだが、この燕と麦畑の歌のように、見たままの自然を歌い、また日常の生活を愛おしむ歌がある。
こぼれ糸纚(さで)につくりて魚とると二郎太郎三郎川に日暮らす
地(つち)の上に墜ちて朽ちけむ菓(くだもの)の瓤(うりわた)くろめて蟻のむらがる
窓に入る雨夜のほたるしめじめと照りて簾(すだれ)をおりのぼりする
蜂ひとつ鳴き来る外におとも無しすずのな露のひるま一時(ひととき)
たけにあまる麦生(むぎふ)にいりてうなゐ子があきつこちこと今日も呼ぶなり
こぼれ糸で網をつくって、男の子三人は、魚取に一日過ごす。蟻が熟れ朽ちた果物に集る。雨夜の蛍。昼間の蕪畑の蜂の音。そして麦畑に子どもがトンボを呼ぶ声。
こんな日常や虫が歌われる。
ちなみに、出典『志濃夫廼歌集』は「しのぶのやかしゅう」と読む。松平春嶽が命名した「忍ぶの屋」、曙覧本人は畏れ多いとして自ら用いることはなかったが、没後この遺歌集を刊行するに際して初めて披露された号だという。