おもしろきこともなき世におもしろくすみなすものは心なりけり

高杉晋作(1867年)

 

幕末の志士たちには多く辞世の歌がのこされている。武士のたしなみということだろうが、武士の世に訣別しようとする維新革命の動きに反すると考えるのは合理解にすぎるのだろうか。幕末の志士たちの辞世の短歌が、死に際しての存在証明としてはたらき、それが近代短歌の自我の歌へつながるというのが、私なりの存在の短歌史の枢になる一項なのだが、この一首は高杉晋作の辞世とされている短歌である。

高杉晋作は、幕末の尊王討幕運動を推進した長州藩士。松下村塾に学び、久坂玄瑞とともに吉田松陰門下の双璧と称される。藩論を倒幕に結集し、奇兵隊の創設者として知られる。

縦横無尽の活躍をみせるのだが、志半ば結核のために倒れる。

慶応3(1867)年4月13日、旧暦だから今の5月中旬、高杉は下関に死す。その臨終に、辞世の歌を書くつもりで、「おもしろき こともなき世を おもしろく」とまでみみずが這うような力のない字で書いた。そこで力が尽き、筆を落としてしまった。

「これに、枕頭にいた野村望東が、『すみなすものは 心なりけり』と下の句を加えてやると、晋作は、『……面白いのう』と微笑し、ふたたび昏睡状態に入り、ほどなく脈が絶えた」というのが司馬遼太郎『世に棲む日々』の高杉臨終の場面である。

一坂太郎は『司馬遼太郎が描かなかった幕末――松陰・龍馬・晋作の実像』(集英社新書2013年)にこの「『英雄』にふさわしい劇的かつ感動的な最期」を疑う。一坂のこの一冊は、司馬の幕末を扱った歴史小説に史実ではなく虚飾が混在していることを明らかにしている。司馬の小説を史実と受け取って人生訓のようにして称賛するビジネスマンや経済人への警鐘である。あるいは司馬の書く志士を尊敬すると言う政治家の安易な信奉を批判する。司馬の小説は、あくまでも小説であり、たしかに面白いが、虚飾があることを承知して読まねばならぬことは、よくよく承知しておかねばならないだろう。

この歌も、望東との合作はたしからしいが、辞世ではなく、その前年のものであるようだ。それが定説のように流布し、司馬にも引き継がれた。しかし、一坂が述べるとおり、「数ある晋作の詩歌の中から、これを『辞世』として引っ張り出した者のセンスには非凡なものを感じる。」

野村望東は、太田垣蓮月とならんで志士たちを支える幕末の女傑歌人として知られるが、晋作との交流にも親しいものがあったのは、これもたしかなことであるようだ。

一坂によれば、この一首の二句の「に」にも史料によって異同がある。「を」とするのは新しいもので、本来「に」であったものが「を」に変えられたと一坂は説く。私もその説に従うことにしよう。ちなみに司馬遼太郎の『世に棲む人々』では「を」だそうである。

おもしろいことなどないこの世におもしろく生きようとするのは、その各々の心々によるのだというのは、いかにも高杉晋作という感じがするのも、司馬遼太郎の影響だろうか。