でで蟲の身は痩せこけて肩書の殻のみなるを負へる我はも

西田幾多郎『西田幾多郎歌集』(2009)

 

西田幾多郎といえば『善の研究』で有名な日本を代表する哲学者である。京都にある「哲学の道」は西田幾多郎が思索にふけった道として名付けられた。私の家から近く、桜や紅葉が美しく、以前は蛍が飛んでいるのを見かけたこともあり、自然ゆたかな場所である。西田が京都に住んでいたのは明治四十三年の四十歳の頃から、昭和三年の五十八歳頃までのことである。

この「でで蟲」の歌はその昭和三年に詠まれたもの。年譜には「京大に於ける最終講義を行う」とある。定年になった虚脱感というものがあるのだろうか、我が身を蝸牛に喩えている。立派な肩書きを殻のように背負っているがその中身は痩せこけた貧弱な自分であると表している。孤独な哲学者の横顔が見えて来る。

京都帝国大学の教授の職を得たが、京都での生活は西田にとって苦難の多いものだった。妻が脳出血で倒れ寝たきりとなり、五年後に死去。三高生だった長男もまた病で亡くす。三女、四女、五女と相次いでその間に病にかかり入院をしていた。

 

しみじみとこの人生を(いと)ひけりけふ此頃の冬の日のごと

われ未だ此人生を恋ゆるらし死にたくもあり死にたくもなし

かくてのみ生くべきものかこれの世に五年(いつとせ)こなた安き日もなし

 

素直に気持ちが詠まれた三首で、「厭ひけり」や「死にたくもあり」「安き日もなし」などストレートな言葉遣いだ。それほどに切羽詰って苦しさを吐かねば自分を保てなかったのだろう。

しかし、娘の静子の回想によると、研究しているとき以外はおもしろい父であり、子供の襟首から氷を入れて「氷合戦」をしたり、飼猫の背に荷物を背負わせて走らせたり、動物園が好きで何度も子らを連れて行ったという。

哲学の道には「人は人吾は吾なりとにかくに吾行く道を吾は行くなり」の西田の歌碑がある。西田幾多郎の歌集を読むまではのんびりと思索して哲学の道を歩く姿を思い描いていたが、京都での苦難の日々を知ることにより、その道は寂しく孤独な道に私には見えて来る。