天道をうつらうつらと渉りゐる日はふるさとへこころをはこぶ

春日井建『朝の水』(2004年)

*渉に「わた」のルビ。

 

春日井建の晩年は癌との戦いであったかのようだ。1999年春に発見された咽頭癌は、2004年5月22日の中咽頭癌による死へつながる。しかしその間、春日井建には、サッカー観戦、海外への旅にも出掛け、また歌集をまとめる時間もあった。

『朝の水』は、春日井自身が編集し、かろうじて生前に完成をみることができた。読者のもとに届いたのは没後のことであり、弟妹による悼辞の記された贈呈票が挟まれていた。「生前に寄贈名簿を用意して」いたと春日井の意志による贈本である旨が書かれている。周到に準備をした上での逝去であった。奥付の発行日は5月15日、亡くなったのは1週間の後であった。

癌は、恐ろしい病である。外科手術も厳しいものがあるが、抗癌剤による化学療法、また放射線照射、それぞれに人体に与えるダメージは相当なものだ。一時的に患部を取り除けたとしても再発、転移、けっきょくは体力が衰えて死に至る。

 

病院の一日ふはふはと過ぎてゆく微熱かサティを聴きゐるゆゑか

スキンヘッドに泣き笑ひする母が見ゆ笑へ常若(とこわか)の子の遊びゆゑ

母の知らぬわれの白頭父に似て中国服など着るにふさふを

少しづつ味戻りきて珈琲をよろこぶ病後の舌と思へり

 

病気にかかわる歌ばかりを抜くことを春日井の美意識は許さないかもしれない。しかし、病気にかんしても、春日井建の美意識は働く。病室で聴くのもエリック・サティの曲であり、抗癌剤の副作用で髪の抜け落ちた禿頭をスキンヘッドと呼ぶ。余裕があるのだが、病勢はやがて進行することになる。

 

流動食といへども咽に障る日は茶をのみて足る日向の椅子に

このところ傷みに敏し身体に起こりしことはこころにとどく

噴泉のしぶきをくぐり翔ぶつばめ男がむせび泣くこともある

早朝ののみどをくだる春の水つめたし今日も健やかにあれ

ふぐ刺しがのどを通るに動悸せり歓楽はいまだ吾を見捨てず

 

食が細り、死への意識は心を暗くする。むせび泣く日もあり、わずかな水や、わずか一二片のふぐの刺身が咽喉を通ったことに喜ぶ。身体の衰えは死に至ることを春日井は重々承知していた。避けられぬ死の意識は、歌集最後の一連に結ぶ。

「春祭」には、次のような歌がある。

 

木のひかり草のひかりの空に満ちわが家が獅子の宿となりし日

昼かげろふゆらゆら揺るる日向にて今年も会はむ咲(ゑま)へる花に

 

そして、一連の冒頭の一首が、今日の歌である。

病室の夢にみた故郷の春祭なのだろう。薬剤のために意識のうつらうつらとした状態に心は故郷へ運ばれて行ったのだ。