敷くためにあらずからだをくるむための白きシーツをときどきおもふ

梶原さい子『リアス/椿』(2014)

 

作者の実家は気仙沼市にある神社である。2011年3月11日そこを地震と津波が襲った。作者は勤務先の学校にいた。「うちつけに投げ出されをりマグカップがパソコンが入試資料が跳んで」といったその時の歌がある。歌集の後半3分の2は震災の日から一月ごとに、2013年の9月までを日付のある歌のように時間を追って詠まれている。

「シーツ」の歌は2012年4月の歌。眠るために寝具として使うシーツではなく遺体を包むものとしての白いシーツが、時折作者の脳裏に浮かぶ。自分が眠る時にベッドを見たときにふとそれを思ったのかもしれない。私のように震災を報道だけで遠くから見ている者として、梶原のこのような細やかな震災詠は鋭い針のようである。声高に語調を強めて訴えるのでなく、生活の隅々に震災の痕があることを伝えてくる。

 

布団また駄目になりたり板の間に拭いても拭いても沁みてくる潮

砂糖、酒、酢を混ぜて振る昼下がり蠅を捕ふる滋液づくりに

赤飯をひたすら詰める流されて死んでゐたかもしれない人と

いづこへも逃げ出づること出来ぬまま和布(わかめ)の深く裂けてゆく冬

 

震災以降の被災者の不自由な生活、精神状態を報道などからわかったつもりでいるが、このような歌にそれはもっとリアルに表されている。一首目は浸水した床が乾いたように見えてもしつこく海水が沁みて布団を濡らしてしまう。予測できない現象がこんな風にさまざまな生活の場面であっただろう。二首目では被災地に流れたヘドロなどから蠅が大量発生した時、その駆除の薬を作っているところだ。上の句を読むとそんな風に薬を家庭で作るのかとあらためて知らされた。三首目は実家の神社で正月の用意をしている場面だろう。赤飯という祝いの食べ物を詰めながら、一緒に作業をしている人は、もしかしたら「流されて死んでいたかもしれない人」なのだ。一瞬の何が生と死をわけたのか。その境目を作者は思っているのかもしれない。

四首目、辛くてもここに住むしかない自分、もしくは周りの人々。下句の和布の表現に耐えていかなければならない苦しみやもがきのようなものを感じる。

 

震災詠はもういいぢやない 座布団の薄きの上に言はれてをりぬ

海辺より呼ぶ声せると寝床から起きて出掛けし真夜中の父

 

一首目は2012年12月の歌。歌会での場面だろうか。どんな立場の人がこのように言ったかはわからない。しかし作者も震災を詠み続ける人も、深く傷ついたはずだ。その発言をもう一度歌にすることにより梶原は強い意志を見せていると思う。二首目は2013年6月の歌。父のこの行動は震災のPTSDの一つにも思えるがどうだろうか。目には見えないようなところにも震災から受けた衝撃が広がっている。

私たちは被災者には成りかわれない。しかし梶原の細やかな震災詠は被災者の気持ちを生の声で伝えている。それを少しでも感じ取り、共有できる時間を持てたらと思う。