まむかへば天そそり立つ足助山寄りくるごとくいよよきびしく

一ノ関明「くまかし短歌会」(1947年11月16日)

 

私ごとのようで気が引けるのだが、発見の驚きと保田與重郎の評についても書き記しておきたく、ここに取り上げることにした。わが父の一首である。

父は歌人ではない。この一首は、偶然に発見した。『保田與重郎全集』別巻1においてである。全集のあちこちをひらいては読み、また別のページをひらく、そんなことを繰り返していた。大方の著作には目をとおしたが、全集にはそれ以外のものも収められている。とりわけ別巻だから、今までにみたことのない文章ばかりである。

ふっと目にふれるものがあった。私の姓は一ノ関、東北の駅名と一緒だが、カタカナの入るこの姓は珍しい。全国にもそれほど無いのではないか。一ノ関圭という漫画家があるが、それ以外は親類しか知らない。この珍しい名は、けっこう目立つ。

その目立つ名が視認された。保田與重郎全集である。最初はあっと思った。同姓同名の別人か。しかしすぐにそれが父の名であることに思い至った。父の酔余に聞いた昔話と一致したからである。父は、保田與重郎の指導する歌の会に参加したことがあると言っていた。

保田が指導をする会の隅に話を聴いていたくらいのことだろうと高をくくっていた。父は、大学の弁論部に加入していたくらいで話術には優れていた。持ち前の人なつこい対応と話術は聴くものを引き付けて一つの人柄であった。しかし、書く方はさっぱり。文章をつづることは下手くそであった。これは曲がりなりにも詩歌文章にかかわる私が言うのも恥ずかしいのだ、ほんとうに下手くそだった。詩情もあったのだかどうか。政治や現実の社会に強い関心を示していたが、それを文章に綴る、感動を詩歌に表すなどとは無縁の人だった。ただ、短歌にかんしては、まったくの無縁ではなかったことは知っていた。どうやら活字化されたものもあるようだが、私の目にはふれていない。ただ残っていたとしても大したものではあるまい。そう思っていた。それが、この歌である。ほんとうに驚いた。

父のこの歌が保田與重郎によって講評されたのは、1947(昭和22)年11月16日、名古屋の丸山神社。解題には、保田の没後「保田與重郎先生歌評覚書」として発表されたものとある。よく記録が残されたものだ。保田與重郎は、ご存知だろうが、奈良桜井に生まれた「日本浪曼派」の評論家である。若き父は、当時伊勢に居住して、時折保田の謦咳に接していたと言っていた。父の回想である。たしかに「歌会」ということばは記憶している。ただその内容について詳しく聞くことはなかった。惜しいことをした。

名古屋の丸山神社は、千種区にある神社だが、その社務所でも使用した歌会であったのだろう。父のこの歌は、記録の最後に掲載されている。どうやら初参加であったのではないかと推測される。父の前の歌の作者名に記憶がある。同じ伊勢に住む友人ではなかったか。初心の二人が、保田への憧れもあって参加したのではないか。物怖じしない父であったから、若い日はなおさらであったろう。父、19歳である。

前置きが長くなってしまった。さて、この一首である。稚拙であることは分かる。短歌を作った経験が薄いこともその言葉づかいから想像できる。しかし、この歌、真率な響きがある。下手ではあるが、この歌が若き日の父の歌であるということを私は誇りに思いたい。なかなかのものではないか。まじめだったのだ。真剣であることが、よく分かる。

足助(あすけ)山は、愛知県の山間部にあり、稲荷神社の山とある。父からは足助神社の話も聞いたことがあるから、足助を訪ねた折の歌であろう。足助には、たしか友人がいた。元弘の変の折に笠置山の後醍醐天皇のもとに真っ先に馳せ参じた足助重範の故地であることは、これも父が語った。『太平記』は、父の愛読する古典であった。この時代の父は、戦中の皇国少年から脱していない。まだ二十歳前であったのだ。尊王の気配が濃いことは、保田與重郎への親炙にもかかわり、この歌の背景でもある。

それでも足助山を「寄りくる如くいよよきびしく」は、山に向かって真摯であることが分かる表現だ。保田もその真摯を諒とした。そして、こんなふうに評する。

「如くといふ語がこの場合悪くない。ものに対しては謙虚であらねばならぬ。こちらから働きかけず向うからの態度にまつ。(山が寄つてくる。)すると人では出来ぬ言葉が出てくるものである。」つまり保田は、「寄りくる如く」を評価している。

父はよろこんだに違いない。しかし、この歌のことは忘れてしまったのだろう。歌会のことは語ったが、歌いついては聞いたことがない。そういう人だった。記録が残っていたことも知らなかったに違いない。

先にも述べたように私は、若き父のこの歌を誇らしく思う。そして、この歌を発見したことを、嬉しく思っている。今年没後25年、久方ぶりに父を思う。

今日は、私の58回目の誕生日に当たる。私ごとめいた歌の紹介だが、記念と思ってお許し願いたい。このことは初めて書いた。