たて笛に遠すぎる穴があつたでせう さういふ感じに何かがとほい

木下こう『体温と雨』(2014)

 

「あつたでせう」と話しかけられているような表現が心地よい。「遠すぎる穴」とは指が短くて押さえられない、笛の下の方の穴だと思った。もう少しなのに届かなくて正しい音が出ないもどかしさ。作者の内面にある届かないものへの哀しみ、それを具体的に表しているのが上の句なのである。モチーフの出し方がとてもうまく新鮮だ。誰にでも縦笛の穴の経験はあると思う。でもそれを「遠すぎる穴」と捉え、精神的なものへとつなげて一首を構築している。

 

階段といふ定形をのぼりつめドアをひらくと風がひろがる

 

この歌にも驚いた。「階段といふ定形」は言われればなるほど、そんな気がする。「定形」という言葉があることによって、階段はその決まり切った形で人間を昇らせてしまう。下句では昇りきったあとの開放感がある。

 

昏れやすきあなたの部屋の絵の中にすこし下がるとわたしが映る

こめかみの熱をうつして臥す夜に なにゆゑ人は布に眠るか

 

物語性に包まれながら、どこかにリアリティが沁みこんでいるのが木下の作品である。一首目は相聞的であるが「あなた」の姿が見えない。ガラスの額に入った絵が飾られたあなたの部屋。少し下がって自分の位置を変えると、絵のなかに自分の姿が重ね合わせられる。不思議な空間を感じるが、これも誰もが一度は体験するようなことである。「すこし下がると」という動作がきいている。

二首目は熱があるときの病の歌だろう。下句の問いかけに驚く。「布に眠る」という行為に私は何の疑問も持たず生きてきたが、作者には熱のある身体性のなかからふいにこの疑問が浮かんだのだ。そこに高い体温の熱がうつったシーツの布の肌触りのようなものがひりひりと伝わってくる。

この歌集は物語の中を心地よく歩くように読めるが、ふと立ち止まり振り向くとちがう世界が広がるような不思議な感覚におそわれる。