握っても摑みきれないかなしみの十指ひらいたままに果てにき

福島泰樹『焼跡ノ歌』(2013年)

 

菱川善夫の酒の相手であった福島泰樹の最新歌集から。

この一首の少し前に「東北の被災地に佇む私に、空襲の風景がひろがっていた。」との詞書がある。震災・津波被害の現場に立った福島泰樹の前にひろがったのは、彼の「三歳の風景」であった。

「被災地の風景は焼跡の風景と重なり合い、昭和二十年三月十日、一夜にして死傷者十三万人、焼失家屋二十七万戸、百万人の罹災者を出した東京大空襲を呼び覚まさせてくれた。」(『焼跡ノ歌』跋)と言う。「この夜私は祖母に背負われ炎の中を逃げ惑っている。ならば私も戦火の罹災者であり、空襲体験者であり、運よく死んでいなかっただけのことではないのか。」そうして「空襲」が歌われた。

 

まえうしろ識別できぬかなしみの黒くねじれて天を指すもの

電線はクモの巣のように道ふさぎ父さんと呼ぶに遠ざかりゆく

鉄カブトかぶったひとや赤児だくひとのむくろに朝の陽は射す

蝉時雨ふる森閑とした朝でした大八車に運ばれていった

 

福島が、実際にこうした空襲による惨劇を記憶しているかどうかは問題ではない。挽歌の歌人福島泰樹が、東京大空襲に非業の死を遂げたものたちの声を聴き遂げたのだ。古代であれば、異常な死者の魂は、この世に未練を残し悪さをたくらむ。それは生者に災いをもたらす。だからその魂を鎮めなければならない。歌は、その鎮魂のためにある。死者の思いを解放することが、歌の役割である。「焼跡ノ歌」は、そうして歌われたものだ。

絶叫コンサートを長く続けている福島泰樹の短歌は、叫びでもある。独特の文体を持っている。唐十郎の演劇のセリフのように感じたりもするのだが、今なら美輪明宏の声に叫び、唸らせてみたらどうだろう、この「焼跡ノ歌」に一層のリアリティが出るのではないか。そんな妄想を呼ぶこれらの歌だ。

揚げた一首には、その無念が如実にあらわれている。指を閉じることもできずに焼け死んだ人の無念が、死にきれないかなしみが表現されている。

『焼跡ノ歌』は、福島の27冊目の歌集である。盟友、詩人の清水昶への挽歌があり、村上一郎、中上健次らも呼びだされ、新宿ゴールデン街のナベサンにくだをまく。唐十郎のテント劇の世界である。

 

たましいの塒(ねぐら)さがしてさ迷える新宿四谷花園ならず

新宿ゴールデン街「ナベサン」ノ硝子窓ニ痩身ノ影ウゴク

尖ってこんがらがって生きてきた可笑しく風吹く午后でありしよ

ホッピーと酒と泡盛溶け合ってしどろもどろの夜となりにけり

 

わがいまだ健やかなりし頃も思い返され、なんだか泣けてきそうな気配である。

 

編集部より:福島泰樹歌集『焼跡ノ歌』はこちら↓

 

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