梅雨雲にかすかなる明りたもちたり雷ひくくなりて夏に近づく

中村憲吉『しがらみ』(1924年)

*梅雨雲に「つゆぐも」、明に「あか」、雷に「らい」のルビ。

 

中村憲吉(1889~1934年)は、「アララギ」創刊時からの主要メンバーである。広島県に生まれ、東京帝国大学経済学科を出て、やがて帰郷、家業の酒造業を継ぐ。清新は、この歌人の歌を評する語として必ず登場する。

 

篠懸樹(ぷらたぬす)かげ行く女(こ)らが眼蓋(まなぶた)に血しほいろさし夏さりにけり 『林泉集』

 

こういった歌をみれば、清新の評は納得できるだろう。プラタナスの木かげを歩いてゆく若い女性たちのまぶたに、ほのかに赤い血潮の色がさすように見える。夏の訪れを若い女性のかんばせに感じる。たしかにオシャレな感覚である。都会的な雰囲気がある。

西の方から梅雨入りしたばかり、梅雨明けにはまだ早いが、この歌にも、そうした清新が感じられる。梅雨曇りの鬱陶しさよりも、夏が近づく歓喜に心がうごいてゆくのだ。

 

梅雨ぐもりふかく続けり山かひに昨日も今日もひとつ河音

梅雨ぐもり山より見れば西かたの海の明るみ夕べにちかし

 

梅雨を歌ってこんな歌もある。峡谷の川音がつづく幾日か。梅雨の雲が一面を覆うばかりである。しかし、やがて西のほうの海が明るくなってくる。夕べに近づいている。この明るさは、梅雨が明けてゆく兆しかも。そんな気分が感じられる。

この前の一首もまた、大西巨人『春秋の花』に教えられた。大西の短歌への目配せは、かなり広いものであった。この梅雨の歌を紹介したページには、佐佐木幸綱『群黎』からの引用もある。

 

遠雷は底ごもりつつ 若者の耳吹きすぎて城を打つ風

 

この歌を引いて「積雲・積乱雲の季節」の到来を嘉する。

憲吉の歌は、けっして長い人生ではないが結婚の喜びを歌い、アララギの人々との切磋を経て、気品をも感じさせる作品があるのだが、それはまた別の機会に。今日は、この梅雨明け近き歌に、気持ちを明るくしてほしい。