君がふと振り返りしを夜の駅の窓にかくれてわれは見てゐつ

稲葉京子『ガラスの檻』(1963)

 

いじらしさのようなものを感じる一首である。駅で別れた後、恋人がどのような表情でいるのか、ふと窓に隠れてみている。「窓にかくれて」は向こうからは見えにくいような窓なのだろうか。そこから見ると恋人は別れを惜しみ振り返っていたのだ。二人が同じくらいの想いであることに作者は安堵したのではないだろうか。

 

さわさわと燕麦鳴る野のかをりわれより若き唇寄せくるに

君のみに似る子を生まむ見知らざる人あふれ住む町の片隅

 

『ガラスの檻』は稲葉京子の第一歌集である。若き日の相聞歌はみずみずしく歌集のなかに残っている。

一首目は年下である相手が唇を寄せてくる様子を詠みつつ、上の句はなつかしく爽やかである。燕麦が風に揺れ広々と野の香りがする、そんな場所に二人でいるのだ。

二首目はただ真っ直ぐに相手に向って気持ちを詠んでいる。誰も知り合いのいない新しい町に住み作者は不安のなかにいるのだろう。しかしそれを打ち消すように、心は初句、二句の強い想いで満ちているのだ。しかしまた別の読み方もできる歌である。「君のみ似る子」は自分には似ずに君だけに似た子を産みたいという自己否定ともとれるのだ。

 

貝煮れば小さき貝よりひとつづつ殻開きゆくさびしさありき

洗ひゆく食器に触れて鳴る指輪さびしき音を今日も聞きたり

 

強い想いの裏側には同じくらいの寂しさ、孤独がある。作者はじっとそれに耐えている。一首目は「小さき貝よりひとつづつ」というところがいい。小さき貝から熱くなり生きておられず口を開いてしまう、どこか残酷さもある一首だ。

二首目は結婚指輪だろうか。初めてつけた時よりもその想いは徐々に変ってきているのだろう。洗い物に触れて指輪が鳴り、所帯じみた自分の姿がある。

 

いつまでもいつまでも手を洗ふ子よわれのさびしき告白として

 

そして作者の寂しさは、いつか幼い子へとうつってゆく。さびしさが二倍に増えてしまったような切ない歌であり、それを歌に詠むことにより自らを凝視している作者がいる。