歳月の蛇腹一瞬ちぢみたりちひさなちひさな新生児見る

豊島ゆきこ『冬の葡萄』(2014)

 

「家族」がこの歌集のテーマである。身近な素材であるが、「家族」を通して見えて来るものはさまざまあることをこの歌集は気付かせてくれる。家族を通すことにより自分の生き方や内面も見えて来るし、この歌のように「時間」も鮮やかに見えて来る。人が生まれて生きてまた死んでいく歳月が家族や血縁の中で繰り返されることにより、自分の人生の始まりと終わりをひとは考える。

この一首、上の句が面白い。まず「歳月の蛇腹」という設定に魅かれる。歳月が伸びたり縮んだりするようなものとして描かれている。初孫を授かったときの喜びに蛇腹が一瞬縮んだ。人生の時間が飛びきり濃くなったような表現ととった。

 

わたくしはゐるだけでいいこの家にひつそり灯つてゐるだけでいい

夏祭の浴衣を息子に着せてゐるお嫁さんの姿を赤子も見てる

 

このような歌にも魅かれた。一首目は、妻として母として頑張りすぎているような人に読んでもらいたい。灯りがほんのりとともるように、女の人は家庭にいるだけでいいのかもしれない。二首目はおもしろい場面を詠んで居る。子供が生まれたばかりの若い息子夫婦。毎日が精一杯の暮らしだろう。ささやかな楽しみの夏祭りに行く様子だが、結句がいい。赤ちゃんは何もわかっていないようでわかっているかもしれない。仲睦まじい両親の様子を感じて安心しているように見える。

 

パラゾールの中がくうきになるまでの半年ほどをいかに過ぐししか

飛び級でポンポンポンとおばあちやんになるわたしなり 今年のさくら

家具といふほどのものなき息子らの新居に銀のフラフープあり

 

これらの歌も楽しく読んだ。一首目は箪笥に入れる防虫剤のこと。気付けば中の薬は溶けて空気だけになっていることがある。その薬が溶けていく間の半年をどんな風に過ごしたか、問いかけている。時間を計る素材の出し方が面白い。二首目はまだ若い息子にいきなり赤ん坊ができた。「飛び級」というのは何の前ぶれもなしにとんとんと孫ができた驚きと喜びが込められている。三首目はその息子達の新居であるが、家具の少ないがらんとした室内に「フラフープ」があるというのが具体的で、あどけなさが感じられる。

歌集のタイトルを作者は「葡萄」に家族や親族の血のつながりを思っているところからつけたという。それは「葡萄の蔓のように、時に苦しく、また時に最高のものとなる」とあとがきに書かれてある。消して穏やかな日々だけではなかった家族との時間のなかから、作者が得たものはとても深いものであると強く感じる。