ロベリアの青きが風と揉みあえり 巴御前は素手でたたかう

谷口純子『金色の橋』(2009)

 

「巴御前」は鎌倉初期の色白で美しい女武者で、木曾義仲の愛妾であったと言われている。1184年の近江粟津の戦では敵の首をねじきるなどの活躍をしたという。ロベリアは青や紫の小さな小花の園芸種で群生して花を咲かせる、よくみかける花だ。ロベリアの花に風がさざなみを打つように揺れていた、その時に、ふと作者の頭に「巴御前」のことが浮かんだ。「素手でたたかう」は首をねじきろうとしている場面であろうか。

上句から下句へのイメージの飛び方が思い切っていて面白い。普通ならその二つのつながりを何とか言葉で説明しようとするが、作者は二つを投げ出す形に読者にゆだねた。なんとなく芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」の句を思い起こさせる。

 

足早に宅配の男駆けゆきて全身に鳴るコインの響き

工事場に「赤いキツネ」の油揚げたべのこされて汁にうかべり

 

働いている人をみつめている歌。一首目は宅配の荷物を運んでいる人。ポケットの釣銭用の小銭が動くたびに鳴る。「全身に鳴る」というところがよくて駆け回っている様子が伝わる。二首目は工事現場の昼どきの様子だろうか。慌ただしく食事がおわったあとカップラーメンに残った油揚げ。味気ない食事の様子が「汁にうかべり」でさらに際立った。

 

従順な人質のように遮断機のむこうの息子の立ちているなり

漂流物あつめるように息子はも郵便ポストみてくるという

かしゃかしゃと真夜に金魚の砂洗う音のするなりわが息子なり

 

また、息子を詠んだ歌はどれも静かで不思議な印象がある。一首目遮断機の向こう側にじっと待っている息子を「従順な人質のように」と詠む。いらいらするでもなく、遮断機が次にあがるまで大人しく待っている。母としては少し心配なのかもしれない。二首目は毎日、毎日家のポストを見に行く息子だろうか。それは浜に毎日打ち寄せる漂流物を集めるひとのように、何かを待っている毎日だ。三首目、真夜中に金魚の水槽を掃除している息子。大人しく寡黙な青年なのかもしれない。「かしゃかしゃ」といった音から息子の心の動きを感じようとしている作者がいる。どの歌も作者と息子は一定の距離がありながらも、繊細にひとつの糸でつながっているように感じる。

作者とは同じ「塔」の歌会でよく会うのだが、日常の場面で本質的なことを考えていて何げない会話のなかで「え?」と驚くことがある。季節をみつめたり、家族の中で、もしくは社会的な問題の何かひとつをつきつめて考える・・。その「答え」よりも、考えている時間が表現を連れてきて、一首が生まれ出てくる。