星野秀子『秋の使者』(2014)
昔、祖母の家にあった洗濯機は脱水の所にくるくる回すレバーがあって面白かった。洗った洗濯物を隙間にはさんでレバーを回し押し出すと、平たくなってぺろんと出て来る。原始的な脱水法だ。一回では水が絞りきれないので何回か繰り返す。夏はいいけれど、冬は冷たくて大変だった。力もいるし、指をはさまないよう気をつけてといつも言われた。
今の時代は、スイッチを押すと洗濯機が全部やってくれる。上の句のように洗ったり脱水したり濯いだり、洗濯機は一人で働いている。下句の「思案してより」は少し止まる間のことを言っているのだろう。一瞬まわるのを止めて反転する時の動きをまるで洗濯機が思案しているように、おもしろく表している。
子と過ごすための力貯えむと紅葉は見ずバスに眠りぬ
伸びをして眠りにつかむとする時に寝返り出来ぬ吾子の思わる
母われの不平も静かに聞きくれる青年となりぬ難病の子は
歌集の中ほどにはこのような歌がある。一首目は、毎日バスに乗って病院に子を看病に行っている場面だろう。周りの人々のように美しい紅葉の景色を見ることなくバスに目を閉じねむる。それは子の世話をするために少しでも体力を温存しようとしているのだ。二首目は一日の終わりに眠りにつく時の場面。やれやれと伸びをしたときにふと病の息子は、自由に寝返りもできないことを思い出した。母の心からは一瞬たりとも離れない思いがあるし、人が当たり前にできることを子ができない不自由さを痛切に感じている。
三首目は何かほっとする歌。必死にまもろうとし、看病してきた息子もある日気付いてみると、母親のことを思いやってくれるやさしい青年へと成長していた。
「しっかりしてますね」と母を誉められて優等生の親の気分なり
働くを好しとする母は施設にてタオルたたみのリーダーとなる
ミルク色のえごの花咲けり夫呼びてその名おしえるは花科のわたし
後半にはこのような歌もある。一首目は作者の母を詠んだ歌。ショートスティについて行ったとき、スタッフの人に母を誉められた。下の句がいい。母と子がいつの間にか逆転していて、作者は母の母親になった気分である。それも優等生の。その母はどこにいても働き者で施設でも「タオルたたみのリーダー」に選ばれる。ちょっとしたことだけれど誇らしい。
三首目、作者は植物好きのようである。「花科のわたし」と言い切ったところがいい。花を家族のように愛おしむ気持ちがあるように思う。作者の人生の37年間が詰まった第一歌集で、いろいろな出来事が気負うことなくさらりと詠まれている。